カンボジアが復活する日!
先日、カンボジアのプノンペンを訪れた。市街地からバイクタクシー(バイタク)に乗って約30分行ったところに、70年代後半、150万人を虐殺したポルポトの非道をいまに伝える場所「キリング・フィールド」がある。10メートルほどの高さの慰霊碑のなかには、頭蓋骨が山のように積み重ねられている。その周囲にあちこち大きな穴があいていた。処刑された人々が埋められたため、後年になって掘り返された跡だ。当時、国民はポルポトの共産革命を信じて政権をゆだねたのだが、化けの皮がはがれたときにはもう手遅れだった。知識人たちが次々と殺された。カンボジアでは民主革命が起こっていると思い込んでいた世界中の人々が、虐殺の事実を伝え聞いて仰天してしまった。いまプノンペン市内には、当時刑務所だった建物が虐殺博物館として残されている。血痕が壁に飛び散った拷問部屋や独居牢など当時のままだ。ぼくのプノンペン市内観光の足になってもらったバイタクのお兄さんが、自宅に招待してくれた。市街地から泥をはねのけながら約40分、バイクで走ったところにあるその自宅は、物置小屋を2つに分割した一画でたった四畳半ほどしかない。奥さんが近くの市場で買ってきた野菜と魚をその寝室と台所兼用の四畳半で調理してくれた。オリオン座が高く上った屋外で一緒にディナーを食べた。そのとき、このお兄さん自身が実はポルポトの虐殺の被害者の一人だとうち明けてくれた。「父親が教師をしていたため一家4人のうち、自分以外はすべて殺された」という。このお兄さんは英語が話せたため、その後、マレーシア資本のカジノのオーナーのボディガードをして暮らした。見ると、自宅の軒先には石で手作りされたベンチプレスが置いてある。これで体を鍛えたらしい。カンボジアは94年、国連のPKO活動の応援を得て選挙が実施され、一時、世界から正当な政権として認知された。だがその後、現首相のフンセンの選挙不正事件などが次々明るみに出て国家の信用を失う。外国資本はどんどん国外に逃げていった。バイタクのお兄さんも、月に20ドルを稼いでいたカジノがカンボジアから撤退したため職を失い、いま、バイタクで糊口をしのいでいるのだ。昼に立ち寄った不法在留のベトナム人街の食堂でも、このお兄さんは、小さな紙片にカンボジアの各政党の支持率と得票率の差の細かい数字を書き込みながら、現政権がいかに票を不正に積み上げたかを力説していた。そして「選挙は5年に一度だけ。08年まで現政権のままだ」と嘆息するのだ。「頼りは日本資本だけ」と繰り返す。まだ3歳にならない娘を将来、プノンペンにある日本語の学校に入れると決めているそうだ。アジアには特有の賄賂文化があって悪党政治家を育てやすい。日本もまたしかりだが、ポルポトの次はフンセンが登場し、せっかく国連PKOの支援で築き上げてきた信用を失ってしまったことはカンボジアの悲劇というしかない。蓮4044