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カテゴリ:myself
僕らの世代が21世紀初頭を生きる若者として存在している。
言い換えるなら、僕らは21世紀初頭の今を若者として生きる権利を有しているということだ。 時代や流行といったものが若い世代によって作られるならば、僕らはその担い手である。 でも、僕ら世代が今まさに作っている時代とはなんだろう? 時代の本質を捉えるとはどういうことか。 たとえば、STROKESが今時代の寵児として存在している。 彼らの活躍は音楽だけにとどまらず、恵まれたルックスを活かし日本のファッション誌にも登場している。 テレビを中心としたメディアの中でもSTROKESの曲を耳にする機会が増えた。 STROKESの存在がファッションである事実。 世界の僕ら世代の若者にとっては彼らは誰しもの理想像でありえる。 僕はSTROKESのファンである。 ただ、彼らは評価に値する以上のものを受けていると思う。 たぶん彼らの3rdアルバムより評価されるべき作品は他にたくさんあるだろう。 時代はSTROKESの存在そのものに価値をつけてしまった。 メディアの発達から考えれば、それは当然のことではあるんだろう。 僕は時代の精神はこういうところとは別のところに存在している気がする。 時代のメインストリートを突き進むのがSTROKESのような、メディアに取り上げられやすいものなら、時代の脇道を進んでいるのは一体なんだ? そこにこそ時代の精神が存在している気がする。 メインストリートを堂々と誰かが歩いているとき、脇道では誰かが全力疾走しているかもしれない。 その、全力疾走の中にこそ時代の本質が存在しているのではないだろうか。 そこに眼を向けられるかどうかが時代を捉えられるか否かということなんだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 20, 2006 01:51:36 PM
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