美しき敗北者
「栄光無き天才」「譲歩の美学」「無抵抗の清らかさ」「美しき敗北者」などといったキーワード、けっこう好きだったりしたのですが責任ある行動が必要となったときに、果たしてこれらを認めてよいのか?と考えています。「一生懸命やったけど、ダメでした」が通用するかどうか、ですよね。イロイロ勉強するのが好きなのですけれども、よくよく考えてみれば、勉強する人でも功を成さない人がいたりするのが不思議でした。つまるところ、上記のキーワードを心に認めていると、「一生懸命やったけど、ダメでした。 でも一生懸命やったんだから、しかたないよね。」といった言い訳をするための勉強になりかねません。何のために勉強するのか?何のために働くのか?何のために?といったことを繰り返し自問自答し、これからは美しくない方向へ進んでみたいものです。でも結局は、ドロドロとした必死さこそが一番美しいことなんじゃないかと思うのです。