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先日、ちょっとした電気工事でお客さんのお宅に伺いしました。
薪のストーブで沸かしたお茶とお餅をご馳走になりながらとても心に浸みるお話しを聞きました。 お客さんが最近読んだ本で「子供は親を選んで生まれてくる」 と言う内容が書いてあったそうです。 前世で魂が「私はこんな人生を歩みたいです!」と、神様に 願いを出すとそれを叶えてくれる親の元に姓を受けるというのです。 でも、それならみんな幸せになっているのでは? 中には一生惨めな、貧乏な、孤独な、そんな人がいるのに・・・って、私は問いかけました。 すると、お客さんはそれはあなた(第三者)が思うことで、 魂は決してそれを悲しんでは無いというのです。 つまり、貧乏な人は前世はお金に不自由はしていなかったが お金のない生活に憧れていた人だったり、障害者は健常者でも 人からの思いやりや愛情に飢えていた人だったり、今とは違う 前世を過ごしていたと言うのです。 私にはそれがホントなのかどうかは解りませんが、少なくとも 私がいま悩んでいることはきっと意味があることだろうと思えました。 そして、私の子供達も三人三様の正確があるようにきっとそれぞれに違う人生を望んで私という親を選んで生まれてきてくれたのだと思うと、少し考えさせられました。 私は今まで結構世間体を気にして生きてきました。 それは有る意味調和を保つ意味では必要でしょうが、あまりにも自分がなさ過ぎたように思うのです。 そして、そんな自分の薄っぺらな教養や常識を三人の子供に同じように教えようとしていたのです。 当然、しつけは大切ですが、個性も大切だと言うことに気付かされました。 どんな人間になるのか? 何をしたくてこの世に生まれてきたのか? そう考えて、子供達を観察すると三人ともがそれぞれに意味のある一人一人の人間に見えてきました。 最近、ちょっと凹んでいる私ですが雲のかかった心の中に少しだけ日差しが差し込んだような気持ちにないました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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