カテゴリ:バレーボール
(パリ五輪終わってから。。。。)
ペルー開催なんですね。1次リーグ1位通過で 決勝トーナメント1回戦勝ってベスト8入りで、準々決勝が地元ペルーと対戦とか。 思い出しますね~ 82年に世界選手権で地元ペルーの大応援団に自チームの声も かき消されて、平常心でプレー出来ずにメダルを逃した日本女子。コジーちゃん 監督辞任で、結局、ユニチカ主体→日立主体に移り変わる分岐点になった大会。 そしてセッターがユニチカ小川→日立久美長にバトンが渡った大会。 (ユニチカ勢は失意の帰国、そしてほぼ日立に広瀬が入るメンバー構成に) 83年のアジア選手権でロス五輪の切符獲得でさらにあの中国に3-0で勝ってしまい、 本番で木っ端みじんにされてなんとか3位死守という展開。その時の3決の相手が ペルーでしたね。 南米と言えば、ペルーなんですよ。80年代から90年代初めまでは。まだブラジル が今ほど強くなくて。ヨーカドーでプレーしていたタイトやデル・リスコが引退後 パク・マンボクがMBペレスを中心に、対角にセッターガルシアを入れるMB1を すでに実行していて、サイドにはマラガ、ファハルドなど170位でジュニアから 経験豊かでうまい選手を配置して戦っていた。このメンバーたちでずっと上位 戦線にいたチーム。 南米選手権 89年優勝、91年初めてブラジル負けて2位、93年優勝 世界選手権 82年2位(自国開催)、86年3位 五輪:84年ロス4位、88年ソウル2位(忘れもしない準決勝日本戦最終セット10-5) 92年のバルセロナは、前年の91年のワールドカップがOQT兼ねていて、そこで 出場権を取れずだった。日本はペルーにフルセット勝ちしたのに、韓国にフルセット 負けで上位リーグへ進めなかった時。そしてブラジルが出始めて、バルセロナで 日本がブラジルに負けるという久美長にとってはショッキングな結末になった。 (若手のイルマにバカすか打たれたね) ペルーが落ちていく感じで、ブラジルがTOPになり、ずっと君臨することになって、 そこにアルゼンチンが出て来たり。コスタグランデがイタリアに帰化しちゃったし。 南米は2番手争いがどうなるのか。ペルーの復活はあるのか。 U17はメダル争いに参戦出来るのか、U17の上のアンダーカテゴリーは共に4位で メダル獲得できずだったけど。そしてロス五輪のメンバーに入れそうな素材はいる のか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 22, 2024 11:44:34 AM
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