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自宅を売却することとなり、初めて内覧を迎えた。
仲介業者とは何度か会っており、信頼関係も構築し、会うたびにいろんな話をしてきた。 午前中に迎えた初めての客は、お母さんと小学生ぐらいの兄妹だった。 子供は無邪気で正直だから、自分たちの新しい家?と思っているようだった。 「とてもいいところだ」という感じで反応してるので、なんか嬉しくなった。 手放す側としては気持ち良く迎えているわけじゃないが、「ここはいいね」と評価をいただくと、世話になった我が家なんで自分がほめられたようだ。 気分良く接してお帰りになった後、業者が言った。 「抹茶さん、不動産もいけますよ。」 実は午後も内覧があったので、早めに来た彼に聞いた。 「午前中の発言ですけど・・・」と尋ね始めると、怪訝そうな彼。 私は元の会社に営業で入社し、東京支社を経由したが、3年で別部門へ移動した。 その後も営業時代の先輩の引きがあったりしたが、全てつぶされたようだ。 別に私は営業をしたかったわけでもないし、不満はなかったが。 要するに私は会社からは「営業不適格」と烙印を押されていたのだ。 まぁ、自分でも向いてるとは思っていなかった。 現在失業中なのでハローワークにも行く。 求職活動をしないと失業保険も給付されないから。 待機期間というやつで、退職後3カ月以上経過しているが、まだ支給開始されていない。 受給した方が得というアドバイスもあり、無職のままであったし、ぎりぎりまで受給予定。 しかし、求職活動はしたことはした。 営業に向いてないと思っていたし、元の会社でもそんな評価だったので、求職活動もバリバリ営業とか、ましてや接客業は無意識に避けていたように思う。 話を戻すと、業者の彼に自分の略歴を語ったら、逆に意外だったようだ。 「営業経験をたっぷり積んだ人かと思っていました。」と。 であればさらに聞かねばならん。 「ほんとにそう思います?なんで?」と言い、会社の評価や自分で思うことを述べた。 そして「あなたの評価?がそうなら、私は変ったということになるし、可能性を制限していては損だと思うのだ」と語ったら、真面目に答えてくれた。 評価は面映ゆかったが、実は私にはひとつ仮説があったのだ。 家族を失い、会社も辞め、すっかり環境が激変した私は・・・ 人と会うこと、人と話をすること、に喜びを感じている! ということに気がついた。彼の評価がまさにそうだった。 過去の私?は、とっつきにくいが親しくなると面白い、とかそんな感じだった。 営業的な場面でも、相手によって、気分によって違う?みたいなところもあった。 しかし、多分今は違うのだと思う。 「今の抹茶さんなら営業やれますよ。不動産業界でもじゅうぶんいけます。」 「それに私があなたにお世辞を言うメリットはありませんよ。(笑)」 ということで有り難く評価はそのままいただき、自らの可能性を感じることとした。 仕事を探すのは難しい状況だ。鹿児島に限ったことでもないと思うが、厳しい方かも。 しかも私は年齢的にも歳くってるし、経歴も特殊で生かせるキャリアもなく。資格もない。 相当厳しいと思う。 とはいえ働かないわけにはいかない。 だから「どんな仕事でもやる」と思わないといけないだろう。 それでも本気で探していなかったなとわかった。 でも逆に今日のことで「自らの可能性はひろがっている」という意味で「どんな仕事もやる」と思えた。同じことでも種が違えば咲く花は違うのではないかと思う。 いろいろあってスイッチ入った感じはあったのだが、動き始めると何かが起きるものだと改めて思う。今は積極的に動いてみるときなのかもしれない。 少し前まで半年前の自分と今の自分は、社会的立場の違いは天地の開きがあっても、まったく同じ人間だ、という認識だった。身体が締まったことだけが違うんだとか。(苦笑) しかし、そうじゃないことを知った。理由はさびしいことにあろうが、面白いと思えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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