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コリン・マクレーは2007年9月15日、ヘリコプター墜落事故によって他界。ラナーク出身のマクレーは1986年からラリーに参戦し、87年からはWRCに活躍の場を移した。91年にはSWRT(スバル・ワールド・ラリー・チーム)に加入し、93年のニュージーランドラリーでWRC 初勝利をあげている。 95年にはドライバーズ、マニュファクチャーズの両タイトルを獲得。95年から97年、スバルはマクレーの活躍によってWRCマニュファクチャーズ・チャンピオンに3年連続で輝き、スバルの黄金時代を築いた 。 追悼イベントはマクレーの父、ジミー・マクレー氏の呼びかけにファンが賛同する形で実現。イギリスだけでなく、全欧州からスバル・オーナーが参加した。中には、南半球のオーストラリアやアルゼンチンから駆けつけたファンもいた。 イベントではマクレー追悼のために、2つの世界記録の達成が目標に掲げられた。ひとつはスバル車だけによるパレードの世界記録更新。8月30日、ジミー・マクレー氏の先導でラナークを出発した一行は、9時間かけて300マイル(約483km)先のプロドライブ本社に到着。その過程で30マイル(約48.3km)をスバル車が1列になって行進するというギネス世界記録を樹立した。 もうひとつは、スバル車だけによる巨大な「車文字」の作成。8月31日、プロドライブのテストコースには1086台のスバル車が整然と並べられ、上空から見ると見事な「COLIN MCRAE」の文字が浮かび上がった。文字の大きさは約800m。ほとんどブルーに見える文字はマクレーがWRCでドライブした「555インプレッサ」のファンが多い証だ。 伝説のラリー・ドライバーの死から1年。ファンの心にマクレーは今も生き続けている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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