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カテゴリ:ひとりごと
私は特にこれといった特定の宗教に入っていない。
入るつもりもない。 無宗教、といえばそうだが、 神様がいないと思っているわけではなく、 どの宗教を信じるか、または無宗教かにかかわらず、 各自の中に神のような存在があり、 宇宙の法則にのっとって世の中は回っているのだろう、と思う。 日本では宗教というと毛嫌いしたり、 ひいたりする人が多いと思う、私も含めて。 オウムとか怪しい新興宗教系や お金を巻き上げるものなどが横行したからかもしれない。 私も日本にいる頃はそういうもを拒絶し、 勧誘しようとしてくる人に次々と矛盾した点をあげ、 批判したこともある。 だいたい、うちの宗教は正しくて、 ほかのは間違っているというのがおかしいと思う。 どの宗教を信じるかは己の自由だが、 ほかが間違っているなど言ってあおり、 自分とこにい入信させようとする時点で、 神様の意思に反しているのではないか?? 信じたければおとなしく信じていればいいのに、 なぜ信者数アップに躍起になる必要があるのか?? 良いものは他の人にも、という愛からだとしても、 余計なお世話だ。 それでも、最近は十代の頃と違って、 かたくなに拒否するのでなく、 いろいろな宗教に触れて、 どういうものなのか知ろうとしても 悪くはないだろう、と、思っている。 ある方に浄霊というものをしてもらい、 奇跡的にラッキーなことが起こったこともある。 胡散臭い悪徳宗教もあれば、 心から人の幸せを願っている親切な人や宗教もあると思う。 ブラジルにはさまざまな宗教があり、 多くの人が何らかの形で、神(デウス)を信じている。 そして、日本にいるときは聞いたこともなかったような、 マイナーな?日本の宗教がブラジルに上陸し、 信者数を伸ばしている。 たとえば、「生長の家」という宗教。 うちの姑がこの信者で、 私を入信させようという魂胆見え見えに 成長の家での教えを聞かせてきて、ウザイことがあった。 今でもこの傾向は変わらないし、 なにも知らない娘のりりを、 子供たちのための成長の家クラスに連れて行きたいようだ。 来伯当初、 ブラジルの生活に慣れず、イライラしている私に 無理やり教えを聞かせようとする姑に尚更イライラした。 それに大体、そんな教えを説く姑が、 教えに矛盾した言動を取っているのである。 それでも、会誌や本を持ってきて、 読みなさいというので、 うちにもって帰って読むことがある。 えーッ?! なんでえ?? と思うような内容もあれば、 いいこと書いてある、というところもある。 たとえば、??な例。 人間はこの世に生まれた時すでに半身(配偶者) と出会うように生まれていて、 結婚してこそ完全な形なのだ、とか、、、 じゃ、 離婚した人は? ゲイの人は?? 一生独身のひとは??? と、疑問が尽きない。 「夫婦はどんなにつらくても別れちゃいけない、 あんたもつらいだろうけど、サム(だんな)と分かれたらだめなのよ」 と余計なことを言ってくるのだが、 その姑の娘(義姉)が、すでに、一人息子を持ち、 子の父親とは別れているのである。 じゃ、あんたの娘はどうなのよ? といいたいとこだ。 姑の態度を見て疑問??なこともあるが、 生長の家の本を読んでみると、 他の主教を否定することなく、万教帰一を説き、 理にかなったことを言っていると思う。 (注。別に勧誘してはいませんのでね) どの宗教でも、呼び方は違っても神がいて、 共通の法則が見出せる。 私はそうやって、いろいろな宗教や人からいろんな話を聞き、 法則に触れたり、 自分の納得できるところを学んでいくのはいいが、 何かひとつの宗教に入って献身するつもりはない。 姑を見ていると、あー、献金しなきゃいけないとか、 講師のテスト受けなきゃいけない、 集会に何か作って持ち寄らなきゃいけない、 カレンダーを売らなきゃいけない、 と、やらなきゃいけないことが多すぎるのである。 たとえいい教えでも、 そんないやいややらなきゃいけないことがあるような団体に所属したくない。 でも宗教は存続するために、ある種の商売化し、 営業のようなこともやらなきゃけない。 そこでもう、パスだ。 姑は成長の家でも、日本語を話す人たちの集まりに行っていて、 ブラジル人たちの集まりとは別になっている。 生長の家は現在、ブラジル人信者を拡大しており、 ポルトガル語での集会も行われているが、 果たしてそこでも、やらなきゃいけないことが多いのだろうか? 日本人同士の集まりが、そういう特徴があるのだろうか?? 今の私には、たまに本貸してくれて読めればいいわ~ という感じですね、都合よく。。。 ブラジルでもうひとつ勢力拡大しているのが、 ユニバーサル教会というもので、 信者の献金を下に、 立派な教会があちこちに建っている。 貧しい信者も多いだろうが、 神のため、となると、どこかから搾り出して献金できるのだろうか。 ちょっと前、この手の宗教のパストル(神父)が、 大金を持って、ヘリコプターで他州へ飛んでいったのが見つかっていた。 否定していたが、これは献金によって集まったお金と見られている。 こんな話を聞くと、ますます、宗教、お断り、間に合ってます、 という思いが強まる。 2年前、知り合いのうちに行くと、 クレンチという宗教の神父と助手が来ていた。 なんでも、近所の人が死の病に伏していて、 これからお祓いに行くところだから、 いっしょに行こうといわれた。 私は断ったが、すぐ終わるし、家に誰も残らないから、 というので、しぶしぶついていった。 病人のうちに行くと、 家はごちゃごちゃとしていて、 やせ細ったおばあさんがベッドにいた。 うわさでは癌ということだったが、 何週間後かになくなったときは、 エイズにかかっていたと聞き、驚いた。 おばあさんのいる部屋に着くと、 この神父と助手が、大声で叫びはじめた。 大真面目に、 「ハレルーヤ!」 「Sai Demonio! (出て行けっ、悪霊!!)」 なんとかなんとか、と、 聖書を手にお祈り。 なんだか笑ってしまった。 祈り終わると、助手が涙目になりながら、 「なんて、悪い空気なの、悪いものでいっぱいだわ!」 と言いながら、家中にあるありとあらゆる偶像や マリア様の写真を処分するように指示し、 かき集めていた。 この宗教では、偶像崇拝を禁じ、 神を偶像の形にしてあらわすのは罪としているらしい。 お払いも終わり、知人宅で昼食をいただくことになった。 もちろん、神父と助手もいっしょだ。 そして、神父はそれが当たり前のような顔をしていて、 よく食べにくるらしい。 自分が偉く、一段上の存在だと思っているのか、 神父の態度は威圧的で、 神父や宗教に無縁な私の娘に、 「こら、それは神父に対する口の聞き方じゃない、 こっちを向きなさい」 なんてえらそうに言ってるのをみると、 この偽者め! と、まったく尊敬できなかった。 宗教における身分格差、 脅しにも近い勧誘、 汚いシステムなどばかり目に付いてしまう。 もちろん、公正な宗教、信者、宗教関係者もいるんだろうけどね。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.09.05 12:51:14
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