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カテゴリ:ひとりごと
なんだか最近ひとり言にカテゴライズされる日記が多いですけど
まぁ画像も取り込めないんで、 より日記らしくていいか?! 最近思う両親のこと。 実家の両親というと、実の父、育ての母で、 父は企業戦士でずっとやってきた還暦の男。 母はなんともいえない強烈なキャラであり、 古い価値観も併せ持った奇想天外はちゃめちゃな 明るい人なんですが、 ほとんど連絡を取っていません。 ちょっと先日母の誕生日なのを思い出したので おめでとうメールを送って近況を聞きましたが、 父なんてもういつから連絡とってないでしょうか、 こっちからも連絡しないし、 向こうからもしないし、そのまんまです。 べつに仲が悪いわけじゃないんですけど、 相変わらず超多忙、会議だ出張だと 企業の一員として飛び回っている父に どぉ?とか、げんき?とかいっても返事の仕様もないと思うし、 体に気をつけてね、とかたまにはゆっくりしてね、 とか、心に過去の問題を蓄積させておくと高血圧になるよ、 とか私のはまっているスピリチュアル的なことを言っても 届かないというか 仕事をやめるわけにはいかないんだし、 私がなにを言っても効き目がないな、と思うと まぁ父は父の人生なんだし、 お互い遠くでそれぞれの人生を行くしかないと思うわけです。 それでもあまりに連絡がなくて何か物足りないな、 と思ってメールをしてみたら 父は今はメルアドなし、 会社に電話があるが私用の電話はバツ、ということで。。 めったに連絡を取らないとか、 日本に住んでいたときでさえ 年に一回帰るか帰らないかだって言うと 「DINDINHA!考えられない!なんで家族に会わない? さびしくないの?SUA DOIDA!(クレイジー!)」 ってたいていのブラジル人が言いますが うちは、というか、私と両親の関係は そういう風でないんです。 逆にものすごく密着した家族思いの家族だったら こんな遠くにお嫁に一人できたら もう耐えられない寂しさなんじゃないかと思います。 その点、うちの両親はまず感情的な涙を見せることがないし、 父は常に仕事の男、(それをあまり崩すことはない) 母はあっけらかんとしていて、 情はあるけど別れを惜しんで涙するとか、 そういうことの全くない人なので 私の中で彼らのイメージは常に頑強で、 全く心配するに及ばない方々、なわけです。 どころか父など仕事帰ったら気難しい顔をして なんとなく不機嫌、食事を終えたらいつのまにか いすで居眠りしていびきをかいている、 というふうで、里帰りしたときもちょっと近づきにくかったです。 (母によると父はいまだに必要最小限のことしか言わないらしい) いまだに一緒に住んでいた頃の 今より若くてさらに心配の要らないイメージがあります。 遠くにいて心配しないでいい(自分のことに専念できる!笑) のはそれはある意味ラクです。 が、やはり年月がたつと、 以前ほどではなく、血圧がどうとか、 手術を受けてどうとか、そういう風になってくるわけですね。 永遠に不死身のようなイメージは 少しづつはがれていく。 で母にメールで聞いたところによると 父は流行の?メタボリックシンドロームとやらで 血圧が高く食事療法をしている、とのこと。 そっかぁ、あれだけ仕事し続けていれば いろいろ疲れもたまっていて当然、 それでもすごい気力で ブラジルでのんびり過ごしている私には想像もつかないような 企業での人間関係や上下関係や取引にまみれた世界に 毎日勤務、残業しているであろう父。 なにかもうちょっと仕事や仕事での人間関係でなく、 人間としての自分の内面を見つめては?とか と思うのだけど、やっぱり余計なお世話って言うか、 そんなこと言っても苦い顔されるだけのような気がするし、 元気でいて欲しいからちょっと体も心もいたわってよ、 って言っても、 それは父の人生なので、高血圧になるのも父の内面と 人生といろいろあってそうなっている(と私は思う)わけで 私が高血圧になっているわけじゃないので 助けるなんてことはできないし、 (ただそのようにして私を育ててくれたことは 非常にありがたいことです。) ちなみに、すべての病状にはスピリチュアルな原因があることを 何の疑いもなく信じている私は 高血圧=長期間にわたって解決しきれない問題を 心に抱えていることが原因 ↓ 心の中の掃除法(解決するための考え方) =私は喜びに値する存在 過ぎ去った出来事は消化(昇華)させて放つ ポルトガル語ですが、ここ参照http://www.imagick.org.br/pagmag/imagina/imagina93.html) というのをみて、ああそういうとこ大いにあるかも、 と父のことを思うのですが、全く余計なお世話ですからね。 今ではすっかり団塊のおじさんの父ですが 私の小さい頃はまだ若くて、一緒に遊んでくれたり、 人間らしい父を見る機会が今よりあったように思います。 そして、そういう父を見ると安心でした。 (今思えば私が3歳のとき、父は33歳、 子供にとっては大きな大人でも、 自分が30になってみると、まだまだ若い、 我が夫などさらに子供っぽいとこさえある。笑) もう20年位前、 ある平日の夕方に父が外から電話してきたことがありました。、 今空がきれいだから見てごらん、と。 (そのとき虹が出ていたのか、飛行機雲があったのか、 なんだったか忘れたけど、そこでも見えるか?と聞いてきたのでした) 今の父はゆっくり空を眺めることなどあるのでしょうか? その辺をメールにして送ったのですが 父はもうメルアドを使ってないようなので、 多分届かないんですが、 今度お手紙でも書いてみようかな。 遠くにいる両親、その他親戚の皆様には いつまでも元気でいて欲しいと思うのでした。 ここにて送ろう paz e amor no coracao☆ ハグハグハグ♪ =おまけ= 全然関係ないんですけど、 土曜日に朝市に行きました。 生きのいい魚を市場の男らしい男どもが 威勢良く客寄せの呼び声を発しているわけですが、 その中のある黒人系のあんちゃんが、なにか言ってきました。 ん?NECHAN?? そう、ネェちゃん!と私に呼びかけていたのでした。笑 おばさんじゃなくネェちゃんと声をかけるよう ちゃんと仕込まれているのね?! (魚売りのオーナーは日系人なんです。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.02 12:16:23
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