訃報
まず最初に、ここ数ヶ月間ブログを放置し、いただいたコメントへの返事も書かなかったこと、ごめんなさい・・・・。また、ブログの更新リクエストをいただいたお友達の皆さんにも感謝いたします。実は・・・前回最後の日記の3日後・・・2/25に私の弟が亡くなりました。享年31歳でした。以前私が長期に渡り、ブログを休止した際に当時の仲の良い(お世話になってらっしゃる)ブログのお友達にはメッセで少しお伝えしていました。弟は2007年の良い夫婦の日(11月22日)に入籍を先に済ませ、翌月の12月に結婚式を挙げました。それからすぐ半年後に進行性の大腸癌が見つかり、入院した当日に緊急悪性腫瘍の摘出手術を行いましたが、そのときすでに、リンパ節にまで転移していました。弟は私たち家族には内緒にしていましたが、自分の体の不調であることから総合病院で3日間検査入院をしたらしいです。しかし、その総合病院では特に何の指示等もなく退院したようです。(その病院は、総合病院であるにかかわらず地元では「助かる患者も死なせてしまう」と噂されている病院です・・・・。)その病院での検査入院から退院して、約1週間に弟はやはり調子が悪いとこのことで小さな開業医の胃腸科で外来受診したら、そこの先生からすぐに他の大きな総合病院に紹介状を持たされ、着いた当日の夜中に緊急オペをしたのでした。手術自体は成功でしたが、患部よりかなり大ききめに切除した腫瘍はすべて生検へ回され結果、『完治することはありません』と非常な言葉を聞かされました・・・・・・。手術後から2ヵ月後、退院した弟は化学療法や放射能治療のため通院していましたが、初めての手術から約半年後に他の臓器に転移が見つかり、2度目の手術を行いました。弟は自分から告知を希望したので、自分の病名を知っていました。2度目の手術後からは、食欲も体力も激減しました。しかし、病気と戦うには体力がないと負けてしまうことを知っていたので弟は望みがあると思われる色々な治療を続けながら、病院で販売しているカロリーメイトのような栄養ドリンクを購入して1缶200カロリーの栄養ドリンクを、頑張って頑張って何とか1日に5本飲んでいました。それでも摂取しているカロリーは1000kcal・・・。それも長くは続かず去年の夏には3度目の入院になりました。それからは数箇所へ転移した悪性腫瘍との闘い、それから次から次へと併発するさまざまな合併症との戦い、それでも絶対に治る!治す!!という強い希望を持っていました。しかし、もう出来る手術もなくなり、弟はどんどん衰弱していきました。2/23の朝、入院先の病院から連絡が入り、かなり意識低下している!と、家族が呼ばれました。私が駆けつけたときは、意識こそは朦朧とはしていましたが、まだ自力呼吸していましたしなんとか会話は出来ていました。それで少し安心した私は、一旦自宅に戻ったのですが・・・・・・・。・・・・・・数時間後に彼の心臓が止まりました・・・・・・。私の母と弟の嫁の強い延命希望から、電気マッサージと強心剤を使い、蘇生処置を施していただいたあと、弟の友人たちに連絡をしました。(2度目の手術後の経過が思わしくなかったので、本人が友人たちには内緒にしてくれ!と強く希望していたのです。)それからすぐに、遅い時間病院へ100人以上の友人たちが弟の顔を見に来てくれました。(嫁はどうしても、弟を友人たちに会わせてあげたい!という想いから延命を希望したのでした。)病院の規則で決められている面会時間はとっくに過ぎていましたが、病院側も暗黙してくださりました。嫁は面会に来ていただいた友人たちに、「声は聞こえているから話かけてあげてください」とひとりひとりに声かけしていました。友人たちは、弟のあまりの変わりようにショックを隠せずに声をかけれなかったり、号泣しながらも「待っているから、また一緒に野球やろう!!」と話しかけてくれたりと意識のない弟に一生懸命声をかけてくださりました。延命治療をして、友人たちが駆けつけてくれた数時間後の夜中に、やっと心拍や血圧もやっと安定しましたが、意識はなく、自発呼吸も出来ない状態でした。その日、私はしばらくは急変することもないだろうということで、数日ぶりに出勤しましたが午後2時前になって姉から電話で『本当に危ない・・・もう待てないかも・・早く来て!!』 と・・・・。私は高速から急いで病院へ向かいました。病室へ入ると、昨日までと何かが違うことに気がつきました。昨日まで弟の体にあったたくさんのホースや点滴等が1本もなく、絶えず見守り続けていたモニターは止まっていました・・・・。弟の左側には嫁が弟の手を握っていて、右側にはうちの母が座り、弟の手を握りながら頬を触り続けながら、小さな声で何かを話しかけていました。一瞬何がどうなっているのか理解出来なかった私は、廊下にいた姉に聞くと、姉は『ごめんね、もっと早く連絡すれば良かった・・・間に合わなかったよ・・・』 とだけ・・・・。やっと何が起こったのか理解した私は、弟の腕を触ってみました。・・・・・体温はまだ温かかった・・・・。そのとき、真っ先に私の頭に浮かんだことは、正直、悲しいというより「もう苦しまなくていいんだよ・・・。」「良かったね、もう痛くないよ・・・。」でした。そして「これからは、ゆっくり休めるね・・・。」と。それから数分後、嫁と母がまだ弟の手を握ったり、さすっていたら、看護婦さんから「大変申し訳ないのですが、体を洗いますので・・・・」と、弟をどこかへ連れて行きました。延命治療を施した2日後の午後14時12分に永眠しました。延命治療後からは意識はなかったにしろ、まさかそれからたったの2日後に逝ってしまうとは、私たち家族は誰一人考えもしませんでした。担当医の先生も『もしかしたら、意識は戻るかも知れないよ』と嫁に話したほど安定していたのです・・・・・。弟の告別式へ参列いただいた方の数は1300人を超えたほど、友人たち、先輩方、後輩たちに可愛がられた弟でした。「人生は無常です」まさにこの仏教の教えである言葉を痛感した日でした。数ヶ月前に七七回忌(四十九日)、百ヶ日法要も無事に済ませることが出来、今頃弟は天国で家族や友人たちとの日々を思い出して笑っていることでしょう。残りました家族一同助け合ってやっていきたいと思います。ご心配おかけいたしましたが、「Mommy’s Log Book」は近いうちに再開するつもりです。どうか今後とも、変わらぬお付き合いをお願い申し上げます。