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カテゴリ:ミュージシャン
(昨日の続き)
ブライアン・アダムスは15歳の頃には既にバンドを組みアルバムも制作していたが16歳で脱退する そして翌1978年、17歳の時にジム・ヴァランスと出会う まさに運命の出会いだった その後彼らは二人三脚で音楽に向き合った さて、このジム・ヴァランスとは一体何者なのか? 実はボクが大好きで何度もこのブログでも紹介している”PRISM”というバンドのオリジナル・メンバーである 1977年のデビュー作 スペイシーなアレンジが特徴的で当時ちょうど流行りだしたボストンやカンサスなど一連のアメリカ産【プログレ・ハード】的なバンドであった アクセル・ローズに似たクセのあるハイトーン・ボーカルを擁しハード且つポップなメロディアス・ロックでボク的にはかなり高水準な作品であった 【Prism - Spaceship Superstar】 アルバムのトップを飾る「スペイスシップ・スパースター」でイチコロ♪ エッジの効いたギターとモーグ風(?)なソロが気持ちいい このプリズムの初期メンバーにRodney Higgs(偽名)として参加していたのがジム・ヴァランスである 1stアルバムのほとんどの曲は彼の手による 彼のソング・ライティングの才能が垣間見られる 上に紹介した「スペイスシップ・スパースター」もさることながら、例えば4曲目の「テイク・ミー・トゥー・ザ・キャプテン」なども更にキャッチーなメロディーが耳に残る名曲である 【Prism - Take Me To The Kaptin】 下手したら同じカナダ出身のLOVERBOYくらいポップである(笑) ただし彼が偽名を使って参加していたことにも実は裏があって結局この1stアルバム1枚でバンドを脱退することになる(とはいえ2枚目以降も曲の提供は続けられた) そしてその翌1978年にブライアンと出会う、という運命 1980年、いよいよジムとの共作ともいえるブライアンのデビュー・アルバムがリリース まぁ最初のうちは試行錯誤している感じであれだが、3枚目『Cuts Like a Knife』(1983年)が大ヒットし翌年の名盤『Reckless』へとサクセスロードは続くのであった ちなみにプリズムもブライアンも彼と袂を分かってからは案の定作品のクオリティが下がりちょっと残念な気持ちにさせた(←ほとんどロマネスク私感)という事からもジムの才能の素晴らしさを物語っているだろう まぁ彼のWikipediaを見ると多くの大物アーチストに名曲を提供しているわけだがそのラインナップからしても頷ける では最後にプリズムの1stアルバムからもう1曲紹介しましょうね ちょっと不器用な感じが初々しいバラードです 【Prism Julie】 楽天ショップにはこのアルバム売ってなかった、、、、残念 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年06月29日 15時05分43秒
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