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外務省のこのサイトを読むといままでの流れがつかめる。
パレスチナ概況 今でも記憶になまなましいのは2000年7月、クリントン大統領(当時)の仲介で 米キャンプデービッドで米・イスラエル・パレスチナの三首脳会談が開催され、 合意に向けた話し合いがなされたが、 東エルサレムの帰属問題、パレスチナ難民の帰還先や補償の問題等で歩み寄りが見られず合意に至らず。。 そうこうするうちに、同年9月、イスラエルのシャロン・リクード党首が イスラム教徒の聖地でもあるエルサレムの「神殿の丘」を突然訪問。 この当時、某テレビ局国際部で働いていたが、 このニュースが流れた時、シャロンにひどい怒りを覚えたことを記憶している。 これが、イスラエル・パレスチナ間でインティファーダ(第二次)勃発の引き金になった。 今回のイスラエルのパレスチナへの攻撃の背景はまだちゃんと追ってないが、 アラファトさんが生きていたらなんと言うだろう。。 世界化するパレスチナ/イスラエル紛争 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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