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「ありがとう」はオアシス運動*1でも用いられるぐらい普通の言葉だと思われるが、現在の社会ではそうした挨拶も含め自分の気持ちを素直に相手に伝えられなくなってきているような気がする。
かくいう僕も挨拶が大好きというわけではない。ただ、小さい頃から両親は挨拶にはうるさかったので普通に挨拶する方だとは思う。おはようございます、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい……。時間の移り変わりだけでも挨拶は変わる。職業柄、外来をこなす上でこうした挨拶は欠かすことができない。まぁ、僕がヤブだからリップサービスで稼がないと……という理由もあるのだが。 そんな挨拶の中でもとりわけ嬉しいのが「ありがとう」だ。感謝の気持ちは人の心を安らかにしてくれる。自分の行為に対し相手が受容し、感謝してくれるという流れがはっきりと実感できる瞬間だ。 「ありがとう」というのは恐らく「有り難し」から派生した言葉だと思われるが、最初は滅多にないことに対しての感謝の気持ちを表現したものだったはずだ。普段お目にかかれない食事や普通なら出会えないような人や物……。こうしたレアさが感謝の気持ちを加速させていたに違いない。 しかし、今や「有り難い」シチュエーションは乏しくなった。食にありつけないなんてことは滅多にない。銀シャリとまでいわれた白米のオニギリも今やコンビニで普通に売っている。「有り難い」から「普段のもの」に変わってしまったのだ。いまやありがたさを実感できるのはプレミア付きのチケットやモノぐらいしかないのかもしれない。 サービスに関しても同じことがいえる。「有り難い」サービスはたゆまぬ努力により身近になった一方で「普通のもの」に格下げされた。ほんの数十年前までは適切な医療など受けられる人はごく一部に限られていたはずだが、いまやそれは当たり前のことになった。そしてこの当たり前は姿形を変えつつ「権利」に置き換わってきている感じがするのは僕だけだろうか。 適切な医療が受けられることはすばらしい。すべての人が等しく適切な医療を享受し、この世にはびこる疾病から逃れることができるのなら、これ以上の幸せはない。 しかし、皆さんが適切な医療を享受できる背景には血や涙を流しながら働いている人間がいることを知って欲しいのだ。医師だけではない。看護師や技師さん達、その他大勢のスタッフがたゆまぬ努力によって適正な医療の供給に努めている。そうした努力をたたえる最大の合い言葉は「ありがとう」に他ならない。 「ありがとう」というその一言で、あなたが医療に対しどういった感情を持っているのかがすぐにわかる。かつて日本は「言霊の幸ふ国」と詠まれたことからも、言葉の持つ力というのは大きい。我々にも反省すべき点は多いのだけれども、患者さんにも知ってもらいたい言葉の力。挨拶一つでも医療が変わることを信じたい。 *1 「おはようございます・ありがとうございます・失礼します・すみません」と習った記憶があるが……。なかには「おはようございます・ありがとうございます・親切・すみません」となっている地域もあるようだ。 http://ranking-blog.net/dr/rl_out.cgi?id=dr011&url=http://ranking-blog.net/dr/html/index.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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