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臓器移植法違反で愛媛県警は宇和島市内の病院を10月1日朝から捜索しているとの報があった。
臓器移植は様々な問題を抱えているのは事実だが、基本理念は臓器移植法第2条に定められているように任意提供であり、人道的精神に基づきかつ公平な機会が配慮されるべきとある。 おそらくは氷山の一角だろうし、こうした金銭授受を伴う臓器移植は少なくないだろうと思われる。 たしかに臓器移植でしか救えない命もあるだろう。しかし、こうした移植に金銭授受を伴っていけないのはなぜかを改めて考えてみる必要がある。 まず、なぜ臓器を売ってはいけないのか。こうした議論は倫理や宗教の専門家たちが幾度となく繰り返しているのでそちらを参照していただければと思うのだが、僕個人の意見としては「歯止めがきかなくなる」の一点に尽きる。 臓器を売ってもよいということになれば、おおっぴらにはならないとしてもあちこちで臓器提供者が続出するだろう。あるいは他人を殺めてまで臓器売買に荷担するものもいるかもしれない。以前、「売血」(実際には血液を「購入」している形だが)という行為が公然と行われていた時期があったが、その結果が現在の肝炎を蔓延させる原因の一端となったことは誰もが認めるところである。 いずれにせよ、金銭の授受が伴うことで公平さや人道的な配慮が欠落することは当然だと思われる。 そして、売ってもよいということは買ってもよいということだ。 今回の事件では臓器を「購入」した人物と「仲介」した人物が逮捕されることとなったが、臓器を提供した側にも責められるべき点があるだろう。 闇金の取り立ててではないが「腎臓一つぐらい売ってこいや~(`ε´メ)ρ」とあたかも臓器がお金に替わってしまうような状況ではどうしようもない。身体をお金に換える、お金で身体を買う、それは売買春と本質的には何も変わらない。 今回の一件でどういった取引があったのかは今後の捜査を待たねばならないが、いずれにせよ安易な臓器売買は慎まなければいけない。 また、移植を行った病院側の姿勢も問われるべきだろう。まさか患者が替え玉だったとは思いも付かないかもしれない。普通はそうだ。しかし、臓器移植という最高レベルの倫理と技術を必要とする現場である以上、本人確認はもちろんのこと、こうした金銭授受がないかどうかやドナーとレシピエントの関係を詳細に把握しておく義務があるはずだ。少なくともこうした移植を行うためには「摘出」と「移植」の2ステップを踏まねばならない。そのどちらが欠けても移植は成り立たないのだから、「知らなかった」とする今回の病院の会見は少々お粗末だったように思う。 移植の問題は常に最高レベルの倫理観を要求される。安易に賛成や反対というのではなく、どうあるべきなのかを慎重に検討していく必要がある。おそらくは「白」「黒」という決着はつけられないだろう。グレーゾーンを渡り歩いていく問題だと思う。細かな規範を作っていくことによって今後の移植が成立していくだろうが、どの規範にも抜け道はある。そうしたルール違反が発覚した場合どのようなペナルティーが課せられるのか、そういったところまで踏み込んでいかなければならないのかもしれない。 技術の急速な成長とは裏腹に、我々の倫理観はなかなか進化しない。この乖離が存在する以上、今後同様の事件が起こらないとは限らないのだ。 http://ranking-blog.net/dr/rl_out.cgi?id=dr011&url=http://ranking-blog.net/dr/html/index.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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