そのとき、どう生きるか
なにかと「ゲゲゲ」ネタが多い昨今の私のブログ。というのも、見てるといろいろ考えさせられるからなのです。今週、ついに待望の赤ちゃんを授かった水木夫妻。だけど生活は全く楽にならず、かえって収入の道が閉ざされてしまって、夫婦二人ギリギリ食べてる状態。だけど、二人は授かった子供を産み、育てる決心をします。「あんたは心配せんでええ。なんとかするけえ。」と、身重の妻に語りかける水木サン。「はい。」とだけ笑顔で答えるフミエちゃん。普通の嫁なら「心配すんなっつったって、この生活でどう心配しないでいられんだよ!」とかいらんことを口走ってしまいそうですが。どん底の生活のなかで、描いても描いてもなかなか収入にならない状態が続いて・・・。それでも描き続けて、それでもダメなら質屋さんに行って。でもそんななかで、いつも必ず矢面に立って、極力妻に嫌な役目をさせないところが、水木サンの素敵なところだなあ、男らしいなあって思います。質屋通いとか、辛い役目は奥さんにさせる男もたくさんいるなか、貧乏しててもそれを隠さず、ただ黙々と淡々と仕事をする男の背中はかっこいい。フミエちゃんが何十年と連れ添ったのも分かる気がします。人はいいときばかりじゃないから、貧乏したり、失敗したり、挫折したりするのは仕方ない。たとえば惚れた男や、家族がそんな状態になっても、それが理由で嫌いになったりはしないと思う。逆に、まったく挫折もコンプレックスなんかもない人と付き合うのは、なんかその先どかんと落ち込んだときにどうなることかと不安になる。でもうまくいかない時期があっても、そこをどう向き合って、どう生きていくかが一番大事なのだと思う。フミエちゃんのお父さんが、もの食いがよくて戦地から片腕を失って戻ってきても必死に仕事をしている水木サンに惚れこんだように、落ち込んでもしぶとく這い上がっていくような「生きる力と知恵」が、人間には一番必要なのかもしれない。暮らし向きが楽でなくても笑いあって、節約の工夫をしたり、毎日の生活のなかのささやかな幸せをよろこびながら生きる。飾ったりごまかしたりせずに、ありのままの自分で、ありのままの生き方で、腐らずに日々まっすぐに自分のなすべきことをする。そういうのがほんとの意味での「豊かな幸せな生活」なのだ。「ゲゲゲの夫婦」は、いつのまにか忘れてしまったいろんなことを、ときどきふっと思い出させてくれる。