妹の結婚第2日目
事象朝は、何時に起きたかよく憶えていないが、朝食を採ったのは9時半頃だったように思う。昨日の結婚式で昨日のうちにどなたが帰ってどなたが宿泊したかは定かでない。妹からの昨日のたった一つの命令は「お兄ちゃんは最後まで寝ないで残っておくこと」ということであり、本日のたったひとつの命令は「お兄ちゃんは最後まで皆さんを見送ること」ということであった。もう2度と、私には命令することはないであろう。年功序列型によりそういう謀反はあまり喜ばしいことではないのである。そういった訳で、徐々に人々はホテル&スパを後にしてゆく。背景新郎の父方もBMWの7シリーズを転がして、ノルウエー人の愛人を乗せて帰って行った。このノルウエー人、式には赤い刺繍入りのノルデック民族スタイルの服を着て現れ、腰には、大きな鍵と鏡をぶらぶらさせて歩いており、詳しい説明を30分ばかり講釈を受けたが、今覚えていることは、本当は剣もぶらさげるのだが、飛行機のセキュリティーチェックにひっかかったので持ってこれなかったということだけであった。経過全員が去っていったのは昼過ぎであった。宿の支払いに妹が、「私のカード何か使えないからお兄ちゃん代わりに払って」といわれて、キャッシディスペンサーよろしく自動的に支払った。それが妹の巧妙かつアクドイ常套手段であることに気がついたのは、カード支払い代金が20万円を突破していることに気がついてからであった。結婚式で初めて私が泣いた瞬間であった。新郎の車には荷物が乗り切らないので、一時的に母のベンツのRV車と交換して、近隣を散策するおとにした。新郎と妹、日本からかけつけてきてくれた妹の友達Yさんと、母。昨日の残りのウエディングケーキだけは乗り切らず、Yさんのひざの上にケーキを乗せて近郊に出発。ただでさえ、腹がいっぱいなのに、ケーキ臭をかいでさぞかし気分が悪くなったであろうが、まあ、そこは愛でたいという事で我慢してもらう。原因凡そ20分たらずで到着した街はストラトフォード・アボン・エイボンという小さな町で、シェークスピアゆかりの地という所である。エイボン川のほとりの桜が咲く駐車場に車を停め、前払いでお金を入れ、レシートを車の窓に貼り付ける。川沿いには遊覧船の他に細長いボートがあり、老後を船上で過ごす人々もいるといっていた。これでヨーロッパ中を巡るというが、ドーバー海峡をあれで渡る訳?と疑問に思ったが、思っただけであった。ところで、シェイクスピアの家を目差して、チューダー朝の町並みを歩く。チューダー朝といえば、ローマカトリックからフン無視してヘンリー8世がイギリス国教を打ち立てたという内輪もめの時代であったが、上流階級に砂糖が流入して虫歯が増えた時代でもあった。その建築の特徴といえば、木造で化粧梁を見せたまあいわば御伽噺のような造りである。シェークスピア博物館とその横の生家は、父母から子供達までの一生を詳しく説明したものであり、出口には土産屋になっており、ここを通らずして出口無しの血のイニシエーションの場となっていた。チューダー朝風パブで昼食を採ってから、また車に乗って10キロ程進む。対処街を出て2,3分で緑の草原になる。そして大学の街ウォーリックに着く。スーパーマーケット横の駐車場に車を停め、前払いでお金を入れ、レシートを車の窓に貼り付ける。日曜の午後は少し駐車料金が安いようである。そこから歩いてウォーリック城に向かう。TO LETとTOLETと何度も見間違える。外から見た城は廃墟のようであるが、まだ伯爵が住んでいるという噂を聞いた。妹達は先日も来たので、近くのパブかカフェで90分程待っているという。城の見学に90分もかかるだろうか危惧したが、中は歴史や調度品や当時の姿のマダムタッソー製作の人形などを再現していて、暮らしぶりが分かった。牢屋や拷問室や武器製造室などまでもが再現されておりなかなかマメであった。問題はすべての出口には土産屋になっており、ここを通らずして出口無しの血のイニシエーションの場となっていたことぐらいであった。総括そんな訳で、何故かあっという間に90分は過ぎ、雨もまばらに降り、我々は車に戻った。店は午後5時前であるがすっかり閉まっており、駐車場には車がほとんどなくなっており、歩いている人も心なしか少なくなっていた。カーナビを駆使してコベントリーの街外れの空港に向かう。カーナビの言うとおりに走っていると、郊外になり心配になってくる。彼自身も心配になり、車を停めて、もう一度セットした。どうみても裏道を通っている感じである。いくら私が人生裏街道だといってもねえ。空港に到着すると、駐車場になっており、ここからバスに乗っていくと言われ、直接空港にいくなら、この地図の通りいきなさいと守衛に渡され、また来た道を引き返した。空港建物はまさしく倉庫であり、車寄せのない空港で、急いで荷物をおろして、バイバイと慌しく別れた。ポケットに手を突っ込むと、最後に妹にくれてやろうとしていた祝い金に手があたった。仕方ないので私の祝い金にする。チェックインカウンターではパスポートを出しただけで、搭乗券発行であった。ネットでしか予約できないシステムになっており、母と私は、即席で作った倉庫の中に設置されたいい加減安そうな椅子に座ったのであった。そうして待つこと、1時間、タラップよりトムソンフライドットコムという飛行機に乗ったのであった。勿論飛行機はいきなり故障で、なかなか飛ばなかった。