トイモイ、翌日には、人生について語る
高速道路を使わず、九州へ行き、その帰り道、山口から山陰の海岸沿いを通って戻ってきたことがある。3人で交代で運転し、ただただ運転していくというガソリン撒き散らしの犯罪であった。一人は運転、一人はナビ、一人は後ろで眠るという理想的な按配である それにしても、山陰のことを裏日本といってもいいのだろうか。もとより、山陽、山陰である。純粋な地理用語なのだろうが、所得倍増計画を経て、山陽側に工業、人口が集中した結果、なんだか山陰は裏寂れたイメージを持つに至った(しかし、多分、山陰に住む人はそんなこと感じてないとは思うのだけど)。実際、明治の頃は、山陰の各都市も結構人口が多く、特に金沢なんか日本で5番目ぐらいに人口の多い都市であった。 そういえば、今思い出せば、私は純粋無垢であるので、結婚資金を少し貸したままになっている現在行方知らずの友人がいるが、それは友人とはいえないのだろう世間一般には。その彼の結婚式は、鳥取で行われ、私は、わざわざ、長距離バスで出かけ、わざわざ日帰りにせずに泊り、わざわざ結婚式に出席し、わざわざスピーチまでして帰ってきた。勿論、人前で話すまでもなく、頭の中でも、最初に考えたり発言していたことも、途中から忘れてしまい、起承転結に話をすることができない私であるので、前日からほぼ徹夜状態で構想に構想を重ね、スピーチが始まる直前まで、ビールで喉を潤し続け、アルコール以外は喉を通らないという、よくある状態を漫画のように演じ続けた。 (今となっては、大人になったので、スピーチのコツも覚えたので、びびりもしないし、とても流暢である。勿論スピーチ時間は1分程度である。もう知人はそれを見越して、私にスピーチを頼まなくなったし、それ以上に結婚式自体がもうなくなったような気もする)「24時間,九州山陰ルマン」の途中ポイントとして、ちゃんと出雲大社にも行った。ほんま、今から1000年前の平安時代に、今の15階建てマンションぐらいの高層建築があったというのは凄いですなあ。 ところで、人生、一言で語ったらあかんで・・・と語っておく。