朝もやの中、エッフェルよりパリ20区を案内する 誰もが私のパリっちゅうもんをパリジャンは持っている
エッフェル塔に行って来た(嘘)。勿論昨日ではない。前に行ってきたのは半年前だ。朝の9時だか10時だかにオープンなのに、20分前に到着した。そして、開店したのは、時間に厳格な国民性を反映して(嘘)9時20分だか10時20分にオープンした。エッフェル塔には時々自殺願望者が鉄塔によじ登り、「死ぬ死ぬシーぬ」と叫ぶ風物詩がある。その度に特殊隊員が出動するのだが、本日はそういうことはなかった。エレベータで上がっていくのだが、エレベータのボタンを押す係員が、中年の男で、ばっちりシブイ背広を着込み、これからデートだもんねボクといった感じのアランドロンなのにはしばし驚いた。フランスは職人の国である。この道何十年というウエイターやギャルソンが飽きもせず渋く働いているお国柄でもある(多分)。7区。何故朝っぱらからエッフェル塔を散歩していたかというとホテルエッフェルに泊っていたからだ。(嘘)エッフェルのある7区のプチホテルに泊っていたので、歩いて3分でエッフェルを眺めることが出来た。7区は比較的住んでいる外国人が多い感じであり、食事に行っても英語が通じるのである。7区にはロダン美術館がある。ロダンは嫉妬しいで、弟子(愛人)のカミーユクロデルの作品をぱちったり、最終的に精神病院に送り込んだりした鬼畜でもあった。写真の中央に流れるのは、あまり有名ではないかも知れないが(嘘)セーヌ川である。その両脇に1,4,5,6区がある。1区、そこにはノートルダム寺院があるが、そのすぐ近くに最高裁判所があり、その中に家庭裁判所があるという。家庭裁判所、パリのカップルの2組の半分が分かれるといわれる。ここにお世話になる人々はかなりの割合になるのではないかと予想される。 4区、フランス人の4割が、イエスは神ではないと答え、5割がイエスイコール神であると答える。4区とは関係のない話だ。5区、6区は紙面の都合上省略する。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。わ、狂った。 その横にあるグリーンの敷地は士官学校である。勿論外人部隊はいない。7区には、世界最初ともいわれるデパート、ボンマルシェが出来た場所でもある。デパートの設立とは、定価制の設立でもあったといえよう。そしてこのマルシェこそが、バーゲンを生み出したのであった。 凱旋門があるのは8区である。不在のものしか人は想像できないと、プルーストは言ったが、彼は、生涯のほとんどを8区で過ごしちゃった。失われた時を求めて執筆で有名なコルクの部屋・・。・・・。そんな訳で時間がきたので、その他の区はまた2,3年以内に紹介したい。勿論ちゃんと取材旅行に出かけるつもりである。(文責口だけクラブ代表) この前、秘密であるが(嘘)東京タワーにも行って来たのであるが、このエッフェル塔ができてから70年後に建てられて、高さは333メートル。エッフェルも320メートルあり同じようなものであるが、鋼材の総重量はエッフェル塔の半分であるにも関わらず、強度は2倍である。70年の間に構造の進歩と、材料の進歩があった。 駅からの道程が真夜中のように車が走っていなかった。この鋼材、エッフェル塔ではなく、おそらく物干し竿であると推測される。それも公道である。