その後、バンコクからソウルへ
バンコク、ドンムアン空港の床でで目覚めた小生は、所持金が1,000円である現実に対して、韓国5日間をどう対処していくか、それが目下の課題であった。 正確にいうと、日本円1,000円以外にも、タイバーツで数百円分あったことは、心の支えでさえあった。私の乗る大韓航空で、頑張って明後日の分程度まで飲みまくり、フラフラしながら、ローカルバスでソウル市内に向かい、そして、大学の前で下車したのであった。 当時は、何を隠そう、小生、西ノ宮市民なら誰でも知っている大学に通う大学生であったので、大学生的特権を使うことが得策と考えられた。何を隠そう、その大学は実名で出すと、東国大学という大学であり、すかさず、私は学生課に向かって言ったのである。勿論、髭面である私の風貌に、あまり髭を伸ばす習慣のない韓国人は驚き、何故か私の事をアメリカ人と間違えたようなのであるが、まあそれはよい。小生は、日本の学生を代表して、御大学を表敬訪問しました!と高らかに宣言したのである。きっと、日本の大学生は全員ヒッピーなのだと思われたかもしれないが、学生運動が吹き荒れる政治の季節である大学当局のシンパシーを得たことは間違いない。というか、もしかしたら乞食或いは物乞いと思われたのかも知れない。 しかしながら、韓国の大学は大変親切かつ親切かつ親切なのであった。1時間後には、大学の正門を出て一番近い中国料理店にて、学生数人と酒盛りをしていた冷静沈着な私であった。そこには、教授まで飛び入り参加し、私は本当に親善大使のような気がしてきた。しかし、親善で訪れたことに誤りはない。ただ飯に預かろう、誰かに泊めて貰おうなんていう浅ましく、卑しい考えは、小生の心の奥底にしかなかっただけなのであった。しかし、心の奥底でなく、体の胃袋は、最近1日1食という健全たる食生活を数日送っていたために、小さく小さくなっており、豪華絢爛満漢全席酒池肉林状態の中華料理をほんのちょっと食べただけで、小生の胃はパンパンに腫れ上がり入らなくなったのである。 韓国人は、私にお金を一銭も払わせようとしない。そんな訳で、5日間特にお金を使うことはなかった。そして毎晩、朝方まで飲んで飲まれて胃腸がおかしくなった。昼間は、夜の飲み会に備えて、二日酔いを少しでも抑えるために夕方まで泊めさせてもらっている家で眠るのみであった。まるで、狼が傷を癒すように、じっと時が過ぎ、体が癒えていくのを持っていたのみであった。