1パーセントの才能と99パーセントの努力 ドイツで思い出したこと
1パーセントの才能と99パーセントの努力との名言を残したのは、エジソンだったと思うが、その1パーセントの才能を与えられたことこそ奇跡なのであって、その才能あるものが、猛烈な努力をするから世界初の発明をどんどんしていくわけで、そっか、努力こそ大切なんだ、と一般庶民を惑わすようでいけないのだ。才能ないものが努力すれば、それなりの結果を残すことはできるが、後世に名を残すような業績は無理だろうし、かなりのラッキーさがないといけない。そういえば、大金持ちへのインタビューで明らかになっていることは、ほとんどの人間が、努力もあっただろうが、自分はラッキーだったといっていることだ。もしかしたら、ラッキーと時代性を掴み取る才能を持っていたのかもしれない。多分、世の中には、ラッキーたるものが、いろいろあるのだろうが、ほとんどの人間は、それを目の前で見過ごしていくものだと思う。そんな訳で、ドイツを歩いていたのだが、無理やりでもないのだが、歩きながら、正規の大天才、ドイツ人、アインシュタインの逸話のことを思った。一般に、アインシュタインは(エジソンも)、子供の頃は劣等性だった、大学を放校された、だのと喧伝され、それでも、すごい人になる可能性はあるんだぜ、なんて無理に希望を子供に与えようとする悪意を感じられて仕方ねえ。確かにアインシュタインは小中学校を放校になり、大学受験も失敗して1浪した。卒業後は大学に残れずに、しがない特許庁の役人になったというのは事実である。 しかし事実は、小中学校が簡単すぎたこととと高学年になると、運動部に入らなければならずその運動部的しごき上下関係が嫌で、アインシュタインは、自分で辞めたにすぎず、劣等性なんかではなかった。大学についても、賢すぎて、大学資格の年齢までまだ2年早かったのだが、チューリヒ大学学長が、あいつは天才だから特別に受けさせろ、との鶴の一声で、急遽受験したのだが、暗記科目で失敗して合格できなかったのだ。翌年、1浪して、トップで入学している。そして、大学卒業、これは日本だけではなく、世界共通だろうが、助手から上は、教授に引っ張ってもわないといけない、政治の世界である。アインシュタインは、研究それだけをしたかったので、学内のゴタゴタが鬱陶しかっただけだったのだ。(後に、請われて母校教授にはなったが)エジソンも同じようようなものである。父親の農場生産物を、自分で販路を広げて、つまり、いまでいうとおろのセールスプロモーションで年間100マン円の利益を得たのが小学校入学以前の話。車内販売員として、アルバイトをしながら研究をしたという逸話もあるが、列車に乗っていることをいいことに、遠方のニュースをいち早く伝えるバイトを思いつき、今で言うところの、販売促進キャンペーンだと思うが、ただで情報を仕入れ、新聞社に売り込み、速報ニュースを伝えることをして、がっぽり稼いだのが、小学生の年齢のころだ。そんな商売の才覚もある人間が、小学校なんか、ばかばかしいと思って不思議ではない。 中学校の時、俺は、陸上部長距離だったのだが、1年後輩に才能ある奴が入ってきた。同じ練習をして、同じトレーニングをして、彼は、神戸市大会で優勝し、俺は予選落ち。 ある記録会で、予選があまりに、彼にとっては緩いので、手をだランと垂らして、少しフザケナガラ走っている姿をスタンドから見ていると、俺の目が痙攣し始めた。こいつに、走りで勝つのは無理だ。こいつが、陰で益々努力したら、益々、無理だ。そこには、才能という大きな川が流れている。土壌、基本、出発点が違うのだ、と思った。その後、彼は、報徳学園に進み、駅伝全国大会で優勝した。陸上で明治大学に行った。その後は知らない。取引先にも、そういえば、ラグビーで全国大会に出場したことがあるとか、まあ、そういうこともある。あるいは、何年かかって勉強してもいいから東京大学に合格できるかというと、私の記憶力では難しいと思う同年代100万人中、何千番代に入らなければならないのである。記憶力分野で。八百屋のおばさんで、勉強をしていれば、ノーベル賞も取れたで、でも八百屋って人も逆に、いっぱいいるだろう。 しかし、救いは、金銭も地位も栄光も、実は幸福と関係ないということなのだ。それを救いとして生きていきなはれ。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅