塾に行っていた幸福な無名時代っていうか、今も無名か。よかったよかった。
以前に何度も自慢して書いてはいるけれども、高校時代まで数学はなかなか良くできた。これが将来役に立つのかという疑問があるが、小学校の計算以外に役に立つはずがない。損得勘定している時点で間違っているということだ。受験勉強のフリをしながら1問の数学の問題に3日ほどかけ、徹夜はしない主義であったが朝から夜中まで机に座っていて、3日後に解けたカタルシスを今で言うマヤクのように味わうってな感じだったのだろうか。いやはや、数学の好きだったところは、何と言っても、美しいところだったのだと思う。 先生に言われて一番嬉しい言葉は、「この証明はキレイにできてるね」という言葉であった。反対に、「オマエの途中段階なんかキタナイけど、答えはあってるな」といわれると、ウムムと少し残念な気分になったものだ。 例1.360度は、1年が365日だから、キリのいいところで1周を360度に決めたのだが、三角形の内角の合計がその半分の180度(平面という条件で)、ぴったり狂いなく180度、キレイじゃないか。 例2.非常に難しい問題も、証明を続けている間に、こ難しい数式を駆使している間に、最後に答えがシンプルな1/2とかになったときには、何てシンプルで美しいんだ、と思った。 例3.円錐の体積って同じ直径の底の同じ高さの円柱の体積の丁度ぴったり1/3なんですね。もう少し詳しくいうと積分して限りなく永遠に1/3に近づくのですね。自分が生み出したものが、永遠に1/3に向かって進み始める、美しい。 例4.永遠に続く有理数例えば、A=0.33333333333333・・・・・が永遠に続いている。これを分数にするためには、これに、10を掛けると、10A=永遠に3.3333333333333・・・・が続いていく。スゴイねえ、見えないねえ。で、で10A-A=3.3333333333・・・・・-0.33333333・・・・だよねえ。永遠に続く数字から永遠に続く数字をぶちのめしていく。9A=3、3A=1 A=1/3になっちゃう。 例5.小学校5年のときにピタゴラスの定理を知り、うわっ、カックイイじゃん、と思いました。 まあ、そんな訳で、30年前ともなれば、今とも教育事情は違ったでしょうが、どこに住んでいたか、周りはどうだったかによっても左右され、私の住む地域では、小学校高学年では、2,3割の子が塾にいっており、それは、受験のための子より、学校の補習的な要素が大きかったように思う。私も小学校4年から行った1回目は歩いて5分でいけるからという理由、2回目は週2回月3000円の月謝だったからであった。中学受験は、200人の生徒の中で、2,3人だけの地域で、それでも、私が、中学受験を視野に入れたのは、神戸市は中学校になると丸刈りをしなければならなかったからで、丸刈りしたくない一心で受験しようかと思ったぐらいの将来性のなさであったことを独白しておく。