ツルハシにて 栄光のキムチサンド
キムチサンドを食べた。関西の喫茶店で食べるサンドイッチは、関西以外の方はご存知ないかも知れないが、パンはトーストされていて、結構パリパリでウマイのである。そこに、パンの厚さの2倍はあると思われる具が挟まっており、大口叩いて食べるという按配である。普通の喫茶店なのだが回転が早く、ほぼ満席状態であった。キムチが挟んであるのだが、ホクホク卵がかなり勝っているので、キムチの辛さは随分おさえられ、ちっとも違和感のない味となっておったキムヨナサンドである。 キムヨナ選手については、是非、浅田選手のライバルとして、やっていって欲しいのだが、多分、引退するだろう。去年の年収も6億7000万円だったらしいし、キムヨナ選手が次を目指すメリットというか、恐怖があるのだろう。次に万一負けてしまったときのリスクを考えると、絶好調のときにやめなければ、期待していた韓国人にバッシングされる可能性が高い。 ついつい、自国民の熱狂的サッカーファンに、失敗したり自爆点入れてしまったり、負けたりして殺されたコロンビアの選手のことを思い出してしまった。そこまでのことは無いと思うのだが、もし、次回オリンピックにでも出場して2位以下とろうものなら、彼女の将来は、バッシングにより暗いものになっちまうのではないかと危惧するのである。オレが危惧してもしかたないけど。反面、日本では、まあまあ、自分にために楽しんでやることが随分許される土壌になったので、アサダマオが次回16位ぐらいとっても、頑張ったじゃんと暖かい目で事態は収束していくと思われる。キムヨナさん、現在、荒川静香の華麗なる引退振りを鋭意勉強中かもね。 ところで、ハルジ氏指摘のように、何のために、0.001秒や0.001センチや0.01点を競っているのか今後の人生考えると、よく分からない部分で競ってはいるのであるが、こういうのを思い出した。あれは、オカルト書物の教祖コリンウイルソンだったかと思うのだが、アルタミラの洞窟に描かれた動物の絵に向かってホモサピエンスは、壁画に向かって、エイエイエイヤーと、槍で突いていたというのである。無駄である。今で言うイメージトレーニングかも知れないが、それは魔術であり芸術であり、腹は満たされるわけではなく、健康な女性が手に入るわけではなく、ただのエネルギーの無駄な消費にしか過ぎない。しかし、そこが滅んでいったネアンデルタール人との違いであり、生存の進化をしていったものであり、その余計なことが人間に必要なことだったのではないか云々というような内容であった。随分、大局から見てはいるが、限られたルールの中でギリギリを競うことが、人間たる所以なのか、と思いつつ、サンドイッチにかぶりつくのであった。 それにしても、カーリングって、極限までに体を鍛えるといった類のスポーツ?でもないよね。オマエが明日からやれや、といわれても出来そうなところに、もしかしてこの競技の難しさがあるのだろうか。 そのあとは、小皿定食を食ってツルハシを後にするのであった。