10年20年着るということ
下着なら別として、ズボンなんかどうよ、それは体型が変わっていないということよ。幸いにも、学生時代より7,8キロ増えているようだが、どうやら去年1年で2,3キロ体重が増えた。増えたが、体重計には乗らないし、2,3キロなら気がつかないという性である。例えれば、髪の毛が薄くなってきたとしても、だんだん薄くなるから本人はさほど気がつかない。でも久しぶりに会った知り合いはその変化に気がつく。本人は、髪が減ってきたから、横に流しておくか、なんとかカンとか言っているうちに、無敵のバーコード親父になっているのかも知れない。 ところで、まだ自分の細胞の数は何十兆もいるので数えたことはないが、体重の5パーセントを占めるそうで、結構な重さである。でもいなくなったら、免疫低下してすぐ死んでしまうのだろうね。まあ、それはそうと、腹は出ていないので、幸いにも20年前のジーンズもまだ履けるのである。しかし、ジーンズも、10年を越すと、膝や尻の部分が破れてくるねん。 まあ、それはそうと、霊的なことって信じるかどうかは、まあいいんだけど、今のところ、幽霊も、国境の壁に阻まれているのだろうか。タイの霊的なピーとか、イリアンジャヤのンバンギとか、日本まで来ないねえ。それに、外国で不意に死んじゃったら、何で自国に遺骨なりを持って帰るのかねえ。残された人が祭りたいからなんだろうか。まあ、持って帰ってあげたいという気持ちも分かるんだけど、やっぱ異国の地では霊として祀られないからでしょうか。 そういえば、過労死という言葉も、寿司とか津波とか山葵のように、日本語がそのままの言葉で使われているということだが、本当かどうだか知らないけれど、それより発展途上国の労働者は365日休みなし保証なし朝から深夜まで休みなしと奴隷のように働かされている人や子供もまでいっぱいいるのだが、その貧困者の人たちの過労死は、日本の目じゃないくらいのはずで、統計に表れなくて、日本ってそこまで働いてないよね、といえるかも知れないね。