ベルリン 1997年
ベルリンは首都に戻ったが、ドイツは、幅広い国で、ミュンヘンもフランクフルトも、全く首都みたいな感じがする。コペンハーゲンから船30分程度で、スエーデンの対岸都市マルメに渡る。マルメからは、ベルリンまで列車。早朝にベルリンツォー駅に着いて、駅構内でコーヒーを啜る。ヨーロッパには、学生時代興味はなかったが、ベルリンは来て見たかった。今、7,8年前にベルリンの壁が崩れた。神戸三ノ宮駅の元となったベルリン動物園駅。カイザーウエルヘルム寺院クーダム通りを歩いていくベルリン天使の歌の塔。ブランデンブルグ門が見えてきた。あそこから旧東ベルリン移動観覧車で西ベルリン終り。国会議事堂ブランデンブルグ門1989年、テレビを見ていて、東ドイツの人たちが、ハンガリー経由でオーストリア突如簡単に入国できることになって、大量の東ドイツ人がピクニックと言って、ハンガリー、オーストリア経由で西ドイツに入っていくニュースを見た、と思ったら、11月に壁崩壊。89年は雪崩れるように東欧が崩壊して、すごい年だった。しかし、一番辛かったのは、東ドイツの人々だ。この人たちは、国が消滅したのだ。直ちに通過を許可すると、誤って発表してしまったために、壁に人が集まってきてしまい、やむなく壁崩壊だが、まあ、そんなことはないだろう。でも、開くのは時間の問題だったのだろう。国が消滅した時、配偶者が自分のスパイだと知った人がいっぱいでてきてさぞかしショックだっただろう。それから7年後、尋ねたら壁のかけらもなかった。ペルガモン博物館も、バウハウス資料館も閉まっていた12月31日。ちなみにペルガモン博物館バビロニア、イシュタル門 ってやつ、さすが、ネブカドネザル2世を自認した某国故フセイン大統領のヨルダン大使館でもみたような。ベルリンは首都に戻ったが、ドイツは、幅広い国で、ミュンヘンもフランクフルトも、全く首都みたいな感じがする。ポツダム広場を終点にした。東側の建設ラッシュは凄いものだった。なんだか、この再開発プロジェクトの総括をしている事務所があって、ネットがつながっていて、何か、検索したような気がする。そういえば、1996,7,8年当時私の家は電話回線のアナログ回線でネットを繋げていていたのに、もう速度は遅くともブロードバンドだったのかな、ヨーロッパ。とにかく、初めて海外でネットにアクセスした旅行だったと思う。メールは勿論、ホットメールだった。 そこから10年前に、初めてバンコクに行ったときは、地球の歩き方もアメリカ、ヨーロッパ、インドの3冊しかなくって、インドというところが凄いけど、タイのガイドブックはロンリープラネットで、ファランポーンから宿屋まで歩く道すがら、バーミーナムの屋台に座って、そこのおっさんが、漢字で「中國」「日本」「友好」と書いてニコヤカに笑ってくれたなあと不意に思い出した。・・・16年後の感想。ここ数年ドイツには毎年行っているが、全て経由であり、意地でも宿泊していない感じ。しかし、ベルリンは私の中ではドイツで何故か一番関心の高い都市で、多分、死ぬまでにもう一回は行くと思う。