昔の切れ端。あれ、レシピって切れ端って意味だっけ、切れ端にメモって意味だっけ インド~イラン編
ホテルでもらった地図。夜行バスでインドのジャイプールからウダイプールに到着して、早朝降ろされた道端から一番安いドミトリーのあるホテルに目星をつけていたら、目の前にあった。 The Hotel Keerti & Pratap Country Inn in Udaipur, India can be contacted by phone +91 83138 or fax +91 83058. Here it is unfortunately not yet possible to book online.とのこと。そういえば、ここからチットガーに4時間かけて行ったけど、世界絶景100とかに時々入っているから不思議だな。行ったよ。底の団長に、翌日、彼が自転車乗ってきて偶然すれ違ったのだが、彼は私を見つけるや、自転車乗り捨てて(自転車こけた)、握手を求められた。昨日はありがとう。ありがとうって。随分、良いことをした気がした。義理じゃないんだけど、実は前日も彼が通りがかりに、外人と見つけて、チケット買ってくれと売ってきたのだ。ダンスショー楽しそうだったし、安かったから夜に行くことにしたんだ。そして、割と楽しかった。インドの鉄道は、大きな都市では外人専用レザベーションオフィスがあったが、他の都市は、インド人と一緒に並んで買う。女性は順番抜かししてもOKなようで、どんどん順番抜かれる。それで、記入して、差し出すと、インド人切符売りは「何が欲しい?」といい、だからそれはこれに全部書いているじゃん、と思う。バカヤロウ。初めての10代のインドって辛いのにやられて、ヴァラナシでもカルカッタでも中華料理行ってしまった。それも、その辺で知り合った人たちと行った訳。あと近郊バスのチケットって1ルピーしなかったんだよな。カルカッタのカーリー寺院及びマザーテレサの死を待つ人の家ってバスで行ったなあ。バス代、5円とか10円。インド最後の夜は何とホテルでインドカレー、あの時ムッチャ高かった、ウヘーっと思っていたが、4人で1,000円。あのときは、カレーの味は分からなかったが、働いてからインドに一度行ったが、お金を払うほどカレーがおいしくなることが分かった。自分がグルメ人間に堕ちてしまっていたのが怖かった。その前に、20歳越えてインドに行ったら、毎日カレー上手くて、10代のインドでカレーの辛さに苦しんだのは何だったんだろうと思った。パキスタンに入った。インド的空気を残しつつ、全くインドではなかった。ラホール。駅前には宿屋が多く存在する。ラホールの宿は、YMCAとサルベーションアーミー以外は全部泥棒宿ということで有名だった。特に駅前のホテル群は、すべてやばいと、いうのは旅行者の間では有名な話であった。それで、私もYMCAに宿投となった。椅子とテーブルと箪笥があった。その配置は、フィリピンのセブ島のYMCAと同じであった。YMCAの受け付けの男が、寂しそうな顔をして、日本人の彼女がいるとかいいながら、指輪をくれた。日本にいる彼女に渡してくれとでもいいたげに。それは私にはブカブカであったが、案の定、次に訪ねたイランで指からスポッと抜けてなくなった。イランは闇両替のために、公共機関と宿が安かった。しかし、飯は普通の価格だった。アッバシホテルは5ドル。あの頃は、高級ホテルに泊まるためにイランに行ってた人もいたなあ。いやはや、泊まる時キンチョウしたな。