退化の改心、対価で回心、大家が戒心 イブンハルドゥーン
チュニジアでえらい事件が起こった。何だか、不思議なことに、誰も私がニカラグア行ったり、ブルガリア行ったり、ミクロネシア(共和国)行ったりしたことを覚えていないのに(あまりいちいち話もしてないけど)、何故かチェニジアは割と皆さん覚えているようで、(多分、トイモイさん、行ったことあるの違うの希望観測的な予測で言っているだけのような気もすること80パーセントなのだが)、チェニジアってませんでしたか?とやたら質問されるのである。やたらとはまあ、3人である。3人以上に言われる、言っていたというのは、みんなに聞かれた、みんな言っているよ、という意味と同じである。世間では。だから大人は子供に対して、皆言っているよ、皆思っているよ、を突っ込んではいけないのである。皆って誰や!って。誰って、○○クンと、○○ちゃんと、えーっとえっと・・・おめ皆は2人か!そういう大人気ない突込みで子供を追い詰めてはいけないのである。大方の大人も、そういうこと言っているんだから、世間って、知り合い2,3人の意見や感想が世間だからね。子供も、そんなこというけど、お父さんこれが世間の常識ですか?世間ってナンデスカ?誰のことですか?なんて大人気ない反論して、大人を困らせるのも問題である。でも、本当は大人の意見は2,3人の友達が言っていたから世間ではないのである。大人の世間とは、自分の意見や考えとは違うことが世間なのである。常識と同じである。常識とは、自分以外が考えているであろう一般的意見の想像である。大人はガキと違って無防備では「いられないのである。逆に、大人の癖に町の無防備君のやつは偉いのである。偉いというか、そいつは子供である。でも自分ができないことをできる奴が、すげえなと憧れるか、馬鹿だなあと呆れるかである。呆れるのも眉毛ヘの字型ならまだ可愛げのある呆れとそこには憧憬が含まれているのだが。チュニジアは、多分、何人かの記憶の片隅に残っているのは、チェニジアを離れた翌日にアラブの春が始まって、あと1日チュニジアを離れるのが遅かったら飛行機が全部ストップしたから帰って来れなかっただろうなあ、という話を何人かにしたからかも知れない。こっちは、移動しているから全く気がつかないのに、日本に戻ると大騒ぎしていて、どうしたんだ、何があったんだ、とコチラが思うほどであった、いや、おれ、チュニジアンサラダ食ったり、カルタゴ行ってみたりしたんですが、その後ありましたが、何か?であった。ちょうど、アラブの春の始まりで、やたらニュースになっていて、オメエ先週行ってたのかよ、ということで、皆さんの心の奥底に私が行ったことが記憶されているんではないかと邪推するのである。皆さんとは、まあ3人ぐらいだけど。入国するときは、一応ベンアリの独裁が続いているけど、政経とも安定しているよ、というのは調べたし、実は、チュニジアってイスラム圏な感じだけど、ヨーロッパから近くてほいといける国で、色眼鏡で見られる国だったのだ。日本でいえば、男性だけで、韓国とかタイとかフィリぴンとか台湾行けば、オヤこいつ?って思われるやん。あれと同じ感覚らしいよ。そういう雰囲気分からなかったけど。まあ、それはさておき、この前の飲み会はまあ、私の主宰する適当飲み会である、というか、別に私が先導取っているわけではないのだが、方々から請われて仕方なく私が主催するだけに、適当な会である。3日前には十数人だったかが参加予定であったが、そこは、私もいちいち数えていない、が四国行くので欠席しますが、1名、風邪ひいたの治りません1名、会社の接待の酒継ぎ係りにパワハラされにいくので欠席します1名、今日でしったっけ?来週空けてましたすみません1名、無断欠席1名、という具合にどんどん減っていき、当日、あらま半分しか来てないね、まあ、いいかどうでもいいという気楽さである。そういうことが大事なのである。事大主義とは違うのである。大事主義なのである。事大主義は長いものに巻かれる植民地的奴隷根性であるが、大事主義は、自分の都合が一番大事な崇高な思考なのである。そこは気にしないことである。問題はチュニジアである。心痛むのである。アラブの春で、その他周辺の国に広がり、リビアではカダフィ大佐が殺され余計に治安が悪化、エジプトはムバラクを倒した政党がまさかの旧体制と軍事派の政党の選挙のせめぎ合いで敗れてしまうのハプニング、シリアは国といえる状態ではなく、バーレーンやサウジは封じ込めに成功、結局うまくいったといえる事例の無いままに、むしろテロを助長させてしまったという皮肉な結果になってしまっている。独裁は無秩序よりましだったということあのだろうか。しかし、あの博物館は行く時間が、何故だか無かったんだなあ。何故時間がなかったのかは、覚えていないけど。とにかく、ボヤボヤしていたんだ。自分が行っといてなんだが、日本人旅行者殺害されたって、行くのかなこういうところ、と思ったら地中海クルーズの寄港地ということであった。多分、日本人もそう行く訳ではなく、スーク(市場)で日本人に声を掛けられたぐらいだった。「あれ、昨日、フランクフルトのカウンターに居ませんでしたか?」と。まあ、それは事実であった。