暖まりに、高揚感とともにタイへ
注意:1月11日の朝にこの日記を作成中、久しぶりにデビッドボーイを思い出し、日記に書いたら、今日の夕方悲報が・・・。 正月明けた初日から仕事のペースを取り戻すのは難しい、難しいが、最近は、すぐに成人式を伴う3連休が待機しており、苦しみの1週間を経ると一応世間は3連休に突入する。仕事始めの1週間は長く遠い道である。 年初めやっとの金曜日であり、仕事は早々に切り上げ、家路に向かう。飛行機は0時半であり、南の国である、コートなどもっていけば荷物になるので、実際置きに帰るということで、どうするか検討の結果、ユニクロヨーロッパ用ダウンインダウン用に買った軽いダウンを着ていくこととする。これなら向こうでは折りたたむとコンパクトサイズとなり荷物であるショルダーバッグに入るのである。それと下着と靴下1ちゃくづつ、文庫本2冊、貴重品類、ハミガキセット類、個人で作ったガイド用紙、以上を急ぎ詰め込んでシャワーを浴びて、ショルダーバッグ1つで、折り返し大阪駅に戻り、リムジンバスに乗るのである。勿論往復割引を受けるためのチケットを購入である。 そんなことを思い起こせばこの3年間で勝手に繰り返していた。去年はアテネから帰ってきてから、3連休にシンガポールにいっており、一昨年もプラハから帰ってきてグアムに行っている(って忘れてたので今自分のブログを調べた)模様。 空港には早くも1時間50分前に到着したが、夜中便は皆暇なのであろうか、早々にチェックインされた方々も多いし、自分のことを考えたら分かるがホテルに泊まっている人(海外の人)なら昼前にチェックアウトしているから、疲れてそして免税品を買うため(さすがに23時頃になるとショボイ関空なので免税店も閉まり始めるのである)3時4時間前に空港に来てチェックインしているのであろう、既にチェックインカウンターも空いているのである。2時間前にチェックインを済ませ、急ぎ奥にあるセブンイレブンに行き、チューハイを購入して飲むのである。ここでもITMKIXカードは有効である。へー、5パーセントも引いてくれるの。といっても数円だけど。銀行に金を下ろしに1Fの旧シティバンクに行くと両替所にITMKIXカードで両替安くしますという泉州銀行だかなんだかの表示を見て、ちょとだけバーツに替えておく。得かどうかは分からないが、元々前回のバーツの残りで、バンコクスワなんとか空港で両替する手間もない、どちらがお得かは分からないが、市内までは十分行けるバーツを確保。 バンコクまでは5時間半、俺はイヤだといっているのに、333席の真ん中の3席の真ん中である、まあまあの込み具合で、俺は葉トイレが近いのだよ、窮屈やんと思うが、まあ仕方ない、満席に近いのだから、泣く泣く、泣くしかないのである。 そんな訳で、利尿作用のあるビールやコーヒー飲まず、寝るかと思いきや、映画を3本見てしまったので、結局夜中1睡もせずに4時半早朝にバンコクに到着、ウォー眠くなってきた!だが、急いでエアポートリンクに乗れと脳が命令するので、地下に行くと、10人ぐらいがまどろんでいた。ん、あ、始発は5時55分だ、まだ50分ぐらいあるぞ、じゃあ、俺もベンチに座って待っておくか、いや待てよ、エアポートリンクに乗って、最終駅からMRTに乗り換えても3,400円かかるので、、もう大富豪だからタクシーでいくか、市内まで1,000円少々だからな、と思い、タクシーレーンまで行き、「アヌサワリーチャイ(戦勝記念塔、ビクトリーモニュメント)」というと、運転手は「ビクトリーなんちゃら」と言ったので、そうそう、そんな感じのところ、と頷く。思いのほか、夜中であれば35キロ離れたバンコクも30分程度で到着するのだが、工事渋滞に途中巻き込まれ1時間以上かかる。さすがに徹夜なので時々意識を失いだり途切れたりしながらも、6時半か7時頃に戦勝記念塔に到着。何からの勝利か?フランスからの勝利である、というか、一部インドシナとしてラオスとかカンボジアの元々タイの領土を返してくれ!と叫んだ1940年、フランスは無視したが、日本の協力を得て粘り強い交渉により、失地回復したのである。戦勝というよりレコンキスタモニュメントが正しいのかも知れない。このあたりはタイ北部のイーサン料理の店が多いのだが、昔、一度ジャズバーだかレゲエバーに来たことがある。昔と言っても1990年代前半だからまあ25年ぐらい前か、カオサンで知り合った5,6人で無理矢理1台のトゥクトゥクに乗って戦勝記念塔まで行って帰ってきたんだ。その中でカップルがいて、明日日本に帰るんだよな、アレ余っちゃってね、と言われ、ンー、じゃあ、貰いに行っていいですかといい、カオサンに戻った後、そのまま彼らの部屋に行く。彼はカメラの三脚を振ると、スポーンとアレが出てきた。そんあことを思い出した。思い出したが、それがこのどのあたりの店だったか、朧気にモニュメントの東側だったということしか思い出せず、とりあえず、それはいいとして、アユタヤ行きの乗り合いミニバンの場所を探すことにした、というか、それはモニュメントの東にあることは分かっていたのでそのあたりをウロウロする。だいたい10~30分おきに、とにかく満席になったら出発するのである。よく分からないうちに、何人か聞いてみるが(アユタヤと日本語で言っても通じない、アヨーチャヤ?なんかよく分からない)、それでもよく分からないうちに、タイ語は読めないが、アユタヤという表記だけは、控えてきてたのでそれを照らし合わせながら、ミニバンを発見した瞬間にバンは出発、じゃあ、次の便だ、ここでボサーっと待ってたら来るだろうと思っていると、ちゃんと、3,4人並び出して、10分ぐらいしたらバンが来た。運転手にアユタヤ?と聞くとそうだ、乗れといわれ乗る。60バーツ(210円)である。乗ったはいいが、席を数えると20席ぐらいあり、結局15分ぐらい待つ。うまい具合に遊びに行く若い女の子たちが集団で乗ってきたので、16席ぐらいが速攻で埋まり、満席になったら出発した、道は旧国際空港、ドンムアンのほうである。ドンムアン空港は今でもまだドメステックで活躍しているが、いい空港だった、何がいいかというと、ドンムアン村が目の前にあり、チェックインしたあとに、村の屋台に飯を食いに行けるのが良かった。いつもタイからの帰りはドンムアン村屋台でカオパッ(焼きメシ)が俺の定番であり、空港に戻るのは8車線だか10車線だかある道を横断するのだが、その必要はなく、タクシーがウダウダしているんである。バスで降りた客を乗せるためである。俺も飯を食った後それに乗る、料金は無料である。理由は簡単で人を乗せてなかったら空港に入れなかったからである。空港から誰かを乗せるために空港に入りたい、と、車線危険なところを横断するより、1,2分であるがタダタクシーに乗ってデパーチャーまで連れてって行ったほうがいいよねの貧乏人の利害が合致していたわけである。いやあ、グラムロック時代のデビッドボウイだったなあ。って時代違うんだけどね、あの頃にバンコクで買った海賊版テープのひとつ。デビッドボウイだったなあStarman徹夜の眠気と戦いながら、20数年ぶりにドンムアン空港みたいなと思いながら、懐かしい気分になりながら睡魔に襲われ、途中何度か、気を失って1時間でアユタヤに到着。2016.01アユタヤ 暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国