江陵カンヌンを経て・・・東正津海岸
ま、キャセイじゃないけど。 自宅、1時間半の眠りから覚めた私は5時半には家を出て6時過ぎのリムジンバスに乗り、7時に関空につくという離れ業であった。いや離れてもなんでもなかった。出発までは90分とゆっくり時間もあり、やっぱりゆっくりして、迂闊にもコーヒーを三杯、トマトジュースも一杯飲み、朝から機内でビールも飲んでしまったのである。お代わりどうですか?なんか聞かれたので、よろしくお願いしますである。なんせアイルである。乗っている乗客も、女の子が中心でフリクエントフライヤー多しである。ぺちゃくちゃ、あそこがどうのここがどうの、今回は、スウォンに飛行機ついてから〇分で到着した、前に来たときはどうのこうの、横の席も、斜めの席も、税関並んでいるときも、機外へ出ようと列を作っているときの後ろも、まあ、そんな感じである。まあこちらも、1年半ぶりぐらいである。もしかしたら2年半ぶりかも知れない。※トイモイ日記調べによると一昨年7月である。それも水原日帰りであった。江陵までは、高速ターミナルからも、もうひとつのソウル市内のデカいターミナルからも順調にバスは1時間に2,3本出ているのだが、インチョン空港からは、まあ、そんなに出ていないのである。正確にいうと、江陵カンヌンまで210分9c乗り場から 07:30, 09:30, 11:00, 12:30, (13:30 三陟サンチョク行き), 15:00, 16:30, 18:00, 19:30, 21:30と、1日10本である。朝一便に乗った私が行けるのは、12時半である。まあ、それは11時半頃にゲート出たので、古語で言うと余裕のよっちゃんである。インチョンで乗ったのは2人、30分後のキンポーで乗ってきたのも2人、合計4人+運転手で楽しくバスはスタートであった。ただ、栄光のためだけに言うのではないが、余裕であったのは最初だけで、何と(帰りバスは休憩時間あったのに)トイレ休憩がない4時間のバス旅行であった。それも何だか分からないけど、高速道路途中で降りて、エンストかなんかしていたバスの乗客を拾っての遠回りである。この前の台北台中間でのバスで膀胱破裂寸前であったのに、今回もである。どうしてくれるんだ、また暴行爆発状態である。もはや後半本を読んだり景色を眺める余裕もない状態であり、真っ青な顔をしながらの江陵バスターミナルに凱旋到着であった。ほんと、栄光は長続きしないのが世の常である。勿論、乗っていた乗客4人中3人はトイレに猛進し、私を含めた3人は、仲良く連れションをしながら、仲良く誰もなかなかフィニッシュに向かわないのである。いつまで出続けるんだよ、ま、そんな状態である。Nature calls meである(というか、こんな表現、多分、しないよね)。トイレに行く洒落た一言って感じじゃねえか、誰でも一応知っているけど、使わないよ、てな感じの。昔、皆の前で、「ちょっと便器割ってくるわ」と小じゃないほうに席を外した、まあ、そんな意味は分かるけどね、って感じなんだろうねえ。トイレも、確かに何っていったらいいのか実はよくわからない、というか、国や地方でメジャーな言い方があるというか、だよね、レストルーム、バスルーム、トイレ、メンズルーーム、ウッシュルーム、ラバトリー、まあ、そんな感じでトイレについては、どこの国に行っても覚えたい単語である、ホンナイ(タイ)とかCR(ピリピン)とかツーソー(ちうごく)とかセルベシオ(スペイン語)とか。バニョもあるが、やっぱ、セルベッサ(ビール)に似ているセルベッソがいいね。まあ、それはどうでもいいんだけど、それで、爽快に外へ出たのは、バスに乗ってから4時間近く経過していたと思うが、さすがに青ざめるまでの大半は寝ていたので、4時間とは感じない16時半頃であった。どうしようかなーと思ったら観光案内所があったので、入ってプリントアウトした東正津の地図を見せて、ここ行きたいのだけどというと、日本人?といわれ、日本語のできるおばちゃんが出てきた、出てきたというか案内所の人は2人なんだけど。もう一人の人ってことで、まあ、案内所にてモジモジいるのも私一人だったんだけど。まあ、親切に次のバスは18時です、といわれたものの、それ90分後じゃんてか日が暮れるぞ。1時間後には着きたいなあ、そういうことである。じゃあ、バスの乗り継ぎだわ、と言われ、乗るバス、乗り継ぎバスの名前を書いてくれ、あそこから次来るバスにどれでも乗りなさい、降りる場所はまわりのみんなにこのメモを見せなさい、教えてくれるよ、乗り継ぎからのバス出発は16時50分よ、ということであったが、分かったありがとう、ちなみにタクシーで行くといくらぐらいか聞くと25000ウォンから28000ウォンね、高いからバスで行きなさいと言われた。ありがとうございます。といって外に出るが、写真を撮ることを考えると明るいうちに到着して、翌日も、息をつく暇もなく移動しなければならないと思った私は、まあ、少女時代や学生時代ならいざ知らず、ここはタクシー3,000円もかからないなら払ってもいいや、面倒くさいて気分に既になっていたんである。ただ、ニコニコと見送ってくれた観光案内所おばさんに、手を振りながら停留所に並び、彼女が部屋に戻った瞬間に姑息にも停留所を離れ、タクシーを捕まえるのであった。指南役のおばちゃんのタクシー推測料金は適切で、チョと安い24000何とかウォンであった。走ったのは2,30分であり、海岸沿いを走ったのは15分程度だったと思う。それで、賑やかなところで、ここでいいよ、と降ろしてもらうと、寸分違わないお釣りをくれた。てか小さなお金見てないけど。チップないからねえ。そうやって、1980年代にヒットした韓国ドラマ「砂時計」(モレシゲ)の東正津に到着したのであった。勿論見ていない。リゾートである、でも寒い。で、そういう「ドラマ」知らんけど、韓国に初めて来たのは、ゴメン19080年代でした。ウキペディアより『砂時計』(すなどけい、モレシゲ)は、1995年に韓国SBSにて放送された、全24回のドラマである。1970年代から1990年代までの激動の韓国現代史を、3人の主人公を通して描写している。特に1980年の光州民主化運動(=光州事件)を韓国のテレビドラマとして初めて扱った。プロデューサーはキム・ジョンハク、脚本はソン・ジナが担当した。視聴率は、平均で45.3%を記録。当時『砂時計』の放映時間になると人々がこれを見るために早く帰宅し、通りが閑散となるという現象を起こし、そのため砂時計をもじって「帰宅時計」と呼ばれることもあった(何かあんころの東京ラブストーリーの放送の夜にOLが町から消えた現象みたいなものか。)ドラマ中、光州事件の実際の映像が使用されている部分がある。これは金泳三政権下でしかできなかった韓国初公開であった映像である。(どこまでも政治的なんだよなあ)それで公園歩いたけど、まあ、それは5分で終了。予約したホテルは、そこだ、まあそこだ、そこだって、遠いな、飲食ストリートから随分離れているじゃないか。それでも飲食ストリートを離れ、宿に向かって歩き始めるのである。大雑把な地図を頼りにである。サンクルーズ&ヨットホテル、の、隣のホテルに泊まるのであった。何かくれる?日が暮れるのみであった。 2017.1韓国 韓国 gourmetの旅。韓国から急いで帰る。韓国 正東津へ。韓国 正東津リゾート。