ナイロビ(ケニア)→アンタナナリボ(マダガスカル)
いよいよ、ケニアから出発の時間が近づいた。ほう、ハラレ(ジンバブエ)やタンザニアのダルエスサラーム(治安悪い印象)やキリマンジャロか。ヨハネスブルグも当然治安悪い印象。はじめて、ケニアがKENIYAではなく、KENYAと知った、そっか、ケニャか、ほんまは。ドリンクも終了し、搭乗口に向かう。サイがいる。シマウマもいる、象もいるぜ。あ、そういえば、マサイさんが、マサイ族に会いに行くってナイロビ行ったなあ。ナイロビというものの出会いは、イラントルコの国境だったなあ。1980年代後半、イランからトルコに徒歩で抜け、トルコの一番近い町、エルズルムまでの移動手段はなく、故郷を越えたトラックと交渉するかしかないなと思っていたら、ぴゅーと国境までタクシーが一台やってきて、日本人が降りた。当時は欧米の国の人は旅行ができなくて、日本人だけがビザなしで旅行ができた(そのせいで90年代にはイラン人がイーパイ日本に来て、偽造テレホンカードとか売ってて問題になって相互ビザ免除なくなったねえ。まあ、当時はさすがに、中国人も韓国人も台湾人も基本的に海外旅行はなかったので、バックパッカーのアジア人というと、基本日本人であったが、あらータクシーきたわ助かったわあ、町まで30キロあるからなあ、と思っていると日本からナイロビに飛んで、ここまで陸路海路カイロ経由でやってきた彼と、タクシーを待たすちうごくから陸路でやってきた私が10分程度簡単な情報交換を行ったわけで、何だか覚えているのは日本からナイロビまで航空券1,000ドルでしたよ、高っかいですわ、というのだけ覚えている。でも多分、お互い昨日泊まったホテルとか、移動手段とかその価格とか、闇両替とか聞いているはずだ。思い出した、トルコはリーバイスが安いと聞いたので、買って帰ったなあ。当時のヨーロッパの私の終点はアテネであってイスタンブールから24時間のバスに揺られ、アテネを終点にしたのは、ヨーロッパは高いというのと、世界の安チケットが手に入るヨーロッパの国の一つとしてアテネがあったからだ。それから大学時代に、卒業旅行でケニアの動物写真撮りに行ってた。今まで散々変なところ(フィリピンのパラワン島のジャングルに入ってマラリアに罹った先輩)ばかりいってたのに。あ、ケニアだったかタンザニアだったか忘れたけど。遂に乗り込む。ケニャ国際線ケニャ国内線離陸アフリカの大地、ケニャ3時間後、海超えて、世界4番目に大きいマダガスカル島の大地。あれ、マダガスカル入国について記憶が薄いぞ。まずはイエローカードチェックだ。まあ、ケニアはトランジットに急遽したので、スタンプもなく、入国していないよ、みたいな状態になったので私はイエローカード不要。そこをすり抜け、アライバルビザ、ってかこれ単なる入国税だな、37ドル払ってシール貼ってもらってビザ終了。何故か私のブースの担当者が日本語で、こんにちは、ニジュウナナドルです、と日本語で笑顔で言った。簡単にスタンプ押されて、簡単に入国。ATMでキャッシングしたら手数料かからないと聞いていたので、ATMに並ぶが、兄ちゃんがいつまでもできないできないとやっているので、まあ、いいかとドルを現金両替えしに行く。通貨はアリアリだ。100アリアリは3円ぐらい。空港から市内には、タクシーでまあ、1,000円程度であるが、勿論外国人ぶったくり価格であるが、これが十数キロなのに、1時間はかかる渋滞コースなので、帰りは注意が必要だ。アンタナナリボ田舎国際空港アフリカといいながら唯一の米の国、さすが、アジアから流されてきた国。インドみたいな感じというのが第一印象。麦、パンの国より、やたら米のほうが効率が良く、気候によるが圧倒的に人口を増やすのに有利なんだな。どうやら私の中で今まで行った国で国民一人当たりの所得が一番低い国のようだ。世界180から190番目ぐらい。2019夏休み関空→フランクフルト・フランクフルト→イスタンブール・イスタンブール→ケニア ナイロビ・ケニア ナイロビ→マダガスカル アンタタナリボマダガスカル アンタタナリボ到着・マダガスカル アンタタナリボの朝・マダガスカル 歴史マダガスカル→モーリシャス・モーリシャス ポートルイス港・モーリシャス 世界遺産アーブラヴァシ・ガート・モーリシャス 市街・モーリシャス 市場・モーリシャス ヒンドゥ寺院から空港へモーリシャス→セイシェル・セーシェル宿まで・セーシェル宿から市内へ・セーシェルの首都ビクトリア・セイシャル 市場・セーシェル残り画像・セーシェル空港近くに宿泊・セーシェル散歩・セーシェル 夜明けセーシェル ビクトリア→UEA ドバイ・UEA ドバイ→アブダビ・UEA アブダビ グランドモスク1・UEA アブダビ グランドモスク2・UEA アブダビ 残り画像・UEA アブダビ→帰国