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2008年12月13日
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今日 私はミサに与った

ミサの中で 神父様がお説教をされる
神父様によっては非常に長くてついウトウトしてしまうこともあるが
私の通う教会の アメリカ人の神父様のお説教は いつも短くて そしてとても印象深い

今日のミサでは神父様はこんな話をされた

人にはあらゆる場面で あらゆる時に 必ず思い通りにいかない事が起きます
そして 生きていくには 
誰でも必ずその人の十字架を背負わなくてはならないのです

私たちが神様を信じているからといって
神様は その十字架を取り除いては下さらない
奇跡が起きて 苦しみが全て取り除かれる というような事は殆ど起きないものです
障害や苦しみは取り除かれず 状況はそう変わらない


しかし 人はたいていそれを乗り越えていく
その状況に慣れる という方法で乗り越える人もいるし
耐えるという方法で乗り越える人もいます
人によって様々ですけれど 大方の人は 自分の苦しみを乗り越えていきます

そして 苦しみを乗り越えた時 人は成長するのです

けれど やはり 苦しみのさ中にいる時 人は皆辛い思いをします
暗闇に放り出されて 一人きりだと思い 孤独を感じます

しかし 乗り越えてから振り返ってみると
自分が決して一人きりで暗闇に放り出されていたのではなかった事に気付きます
奇跡は起きなくとも 苦しみのさ中には 必ず神が共にいて下さった事に思い至るのです

人は幾つになっても成長する機会があります
幾つになっても 苦しみや障害は起きるからです

どのような時にも 決して絶望せず 
神様が共にいてくださる事を信じて成長してゆきましょう



遠藤周作の著書の中に 白血病で幼くして神に召されたマチルダという少女の話がある

そこに少女の詩が載っている

「私が咳をすると あの子も咳をする
 私がママに叱れて泣いていると あの子も私と一緒に泣いている」

きちんとした表現は忘れたが このような内容の詩だ

ここでいう「あの子」とはイエス・キリストである
神は ママが怒らないようにはして下さらなかったし
少女の病気を奇跡を起こして治しては下さらなかった

けれど いつも寄り添い 
少女と一緒に苦しみ 少女と一緒に泣いて下さった
少女はどんな時も 決して一人ではなかった


ご存知の方も多いと思うけれど 「Footprints」(足跡)という有名な詩がある


私は今日の神父様のお説教を聴いて この二つの詩を思い出し 涙が出てきた


神とはまさに そのような存在であると 心から思う



「Footprints」

ある夜、一人の人が夢を見た。
それは主とともに海岸を歩いている夢だった。
その時彼の人生が走馬灯のように空を横切った。
その場面場面で 彼は砂浜に二組の足跡があることに気がついた。
ひとつは主のもの、そしてもうひとつは自分のものであった。


そして最後のシーンが現れた時、彼は砂浜の足跡を振り返って見た。
すると彼が歩んできた今までの道のりの多くの時に、
たった一組の足跡しかないことに気がついた。
そしてそれはまた 
彼の人生で最も困難で悲しみに打ちひしがれている時のものであることに気づいた。


彼はこのことでひどく悩み、主に尋ねた。

「主よ、かつて私があなたに従うと決心した時、
 あなたはどんな時も私とともに歩んでくださると約束されたではありませんか。
 でも私の人生で最も苦しかった時には、ひとつの足跡しかありません。
 私が最もあなたを必要としていた時、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?
 私には理解できません。」


主は答えられた。

「私の大切な尊い子よ、私はあなたを愛している。
 決して見捨てたりはしない。
 あなたが試練や苦しみの中にあった時たった一組しか足跡がなかったのは 
 私があなたを背負って歩いていたからなのだ。」

 






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最終更新日  2008年12月15日 16時48分40秒
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