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カテゴリ:からだ
このあいだから実家に帰ってきている。
私の父が先日定年退職し、5月に別の仕事に再就職するまでの間、しめじと遊びつくしたいと言うので帰ってきた。(といっても今週末には熊本に帰るけど。実家天国~と思えるのも一週間ぐらいだし私の場合) 先日のイベントの後に少しゆっくりとしたかったので、実家でじじばばがしめじを見てくれているあいだに本を読んだり遊んだりしようと思っていたのだが、よく考えると色々なスケジュールが押し迫っており、実質あまりゆっくりはできてなくて、毎日実家のプリンタを最大活用して細々とした作業をしてしまっている。 ところで私の母は養護教諭(保健室のおばちゃん)で、それも、不登校の子やヤンキーなどカテゴリーを問わず結構信頼の厚い(らしい)養護教諭で、それは私としてもすごく誇りに思っていることなのだけど、そんな母から変な話を聞いた。 最近、性の問題や性病患者の若年化が進んでいるため、小学生でもちゃんとした性教育を受けさせるという傾向にあるらしい。(その内容の是非はおいといて・・・) が、つい最近、地元の教育委員会のおえらいさんから、「やはりまだ小学生に男女の性器の名称などを教えるのは早すぎるから、中学に入るまではやめるように」とか、「性交とは何かについても、まだ教えるのは早いし、いろんな危険性があるから、教えないように」とかいった通達があったらしい。 それでなくても小学校における現代の性教育についていろんなメディアで面白おかしくとりあげられている今、性教育そのものに乗り気でなくなっている教師達は、もういっそのこと昔のままの性教育でいこうという感じの気風になっているところへ、またお偉いさんから通達があり、「AIDSの問題などは非常に深刻であるから、そういった問題についてはしっかりと教育するように」などと言われ、性器や性交について一切教えてはいけないのに、どうやってAIDSについてしっかりと教えればいいんじゃーと困っているんだそうだ。 うーん、なんで性器の名前とか性交のしくみを教えてはいけないんだろう。ちゅーかませた子は小学生高学年で性器の名前とか性交のこととか絶対知ってるし、知らない子は「ふーん、そっか」で終わると思う。 教育委員会のひとたちは、性交のしくみを知ることで、小学生が猿のようにセックスに明け暮れると思っているのだろうか。 現代の性教育について全然知らない私が言うのもなんですが、性教育において一番大事なのって、子ども達の体に今後起こっていく変化に関する予備知識を提供して、その変化をおそれなくてもいいよ、その変化に変な罪悪感や恥の感覚を持たなくてもいいよ、そうした変化は自然なことだし、重要なことで、あなたの体が汚れているわけでも何でもないんだよ、というようなことを教えてあげることではないのかなー。 なのに、性器の名前を教えるなとかなんとか言ってる大人って、考え自体が汚れているよね。自分の体に生まれたときからついていて慣れ親しんでいる部分、その部分だけを切り離して「まだ子どもに名称は教えるな」って指示するなんて、どーいう神経なんだろうか。 からだは存在するし、性器も存在するし、その名称も存在するし、その用途も存在する。その事実自体にはなんのやましいこともない。子どもにはそのまま伝えればいいと思う(もちろん伝え方はすごく重要だけど)。 だいたい、そういうことを言っている大人たちは、自分たちの子どもを、TVのセックスシーンや暴力シーン、インターネットのアダルトサイトや周囲にわんさかいるであろう痴漢やロリコンからしっかりと保護してあげているのだろうか。 そういう子ども達にとっての明確な害が現代においては歴然と存在するのも事実。性器の名称を教えるなとか言ってる暇があったら、そういう害から子ども達を保護する対策のほうに取り組んでほしいと思った。 あー、そういうやつらに「からだのひみつ」を読ませたい。(「こころのひみつ」もあわせて) でも私って極端なこと言ってるかなー?と今ふと不安に。どうなんですか?母から聞いた話、すごいあほくさいなーって思ったんだけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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