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カテゴリ:マドレボニータ
二泊三日の旅行から帰ってきたら、うつくしいははつうしん第二号がポストに届いていました。
つうしんの紙がグレードアップしていて(おそらく)、嬉しい。 つうしんのサイズが小さくてめくりやすいのもあり、私はこれをどこにでも持ち歩いてガシガシと(しかし愛情持って)取り扱っている(読んでいる)ので、これぐらい紙がしっかりしていると嬉しいのだ。 それで、中身を読んでみたら、私の投稿をたくさん取り上げていただいていてこれまたニヤリ。 何十人もの方向けのつうしん上で、自分の投稿が公開添削されるのって、こっぱずかしいけど、超ラッキーよね。 ちょうど私の投稿内容が、典型的な間違い投稿だった模様で、他の会員の方々にも、その間違いにより、さらなる学習のネタを提供することができた模様? もちろん私自身もすんごく勉強することができた。 翻訳の仕事でも必ず、仕事が終わるたびに会社から翻訳のフィードバックがくるので、こういう風に添削されることのありがたみと有意義さはよーくわかる。 それと、どんなことであれ、他人が間違ってそれを修正される様子を傍観して学習するのが、「正解」にたどりつくまでの一番の早道に思われがちだけど(傷つかないですむし)、自分がちゃんと節目節目で間違い、それが間違いだと自分で気づき、正しい答を見出すという一連の経験を鮮やかな感情つきでしっかりと消化するというのは、すごーく大事で、しかも結果からすれば一番効率的なんだろうなーと思う。 だって、自分がしでかした間違いってしっかりと後々まで覚えているものだし。 他人のしでかした間違いはそうも覚えてないよね。 まあ、かといってやたらめったら、いい加減というか刹那主義的な態度で取り組んで、間違ってばかりでも何も生み出さないんだろうけど。 全力をつくして何かに取り組み、それでも何かが原因でどうやってもうまくいかなくなることってよくあるけど、それって発想の転換をすれば最大の学習(とか前進)のチャンスなんだろうね、多分。 (ここらへんは、水野敬也氏の「バッドラック」という本を読んですごく考えさせられた部分) ともすれば人は(つーか私は)、間違いを犯して傷つくのを恐れるあまり、防護策を張り巡らせて、どうにか間違いを犯すのを避けようとして、結果、それが自らの成長をすごく妨げてしまうという事態に陥りがちだけど・・・。 プロとしての自覚が求められる仕事をし始めて、だいぶ大人になった今は、添削やだめ出しを個人的にとらえて傷心したりすることも、なくなったかな。 なんでこんなに長々と書いてしまったかというと、つうしん第二号で、私を添削してくださる前に、マコ先生が「辛口で添削するんで、私のこと嫌いにならないでください(笑)」などと冗談めかして書いて、気を使ってくださったから。 そうかそうか、ちゅーことは、この程度の添削(とかダメだし)を個人的に受け取って、傷ついたりする人が今までさぞかしたくさんいたんだろうなー!とちょっとばかし、びっくりしたのでした。 ***** 本日(5月10日付け)の朝日新聞熊本版に、熊本でのマドレボニータ活動についての記事が掲載されました! 先日の初、つっこみの会の様子が、写真付きで載っています。 結構大きい記事で嬉しい。 先日の講座に参加してくださった、9ヶ月(かな?)の女の子のお母さんであり新聞記者でもあるMさんが、その後の活動についても興味を持ってくださり、つっこみの会に取材に来てくださったのです。 自分の名前が新聞に載ったのって人生初だと思う!紙面に載ってるとなんか他人の名前のように思えるから不思議。 記事の中の、「司会の仲井さん」というフレーズがかなり気に入った。 確かに、先生でもイントラでもないし、なんちゅーか、司会だわ!体を動かしつつの、司会進行役っす。 特に私の連絡先なんかを記載していないので、別段問い合わせなんかはないだろうけど、熊本で、「マドレボニータ」という言葉&コンセプトが少しは広がったかなーととても嬉しい気分です。 Mさん、ありがとうございました! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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