|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ここ半年ほど、大学時代の友人と一緒に、大人向け英語教材を作っている。
私の役割は、教材作成(単語・熟語・文法解説etc.)と、音声・テキスト最終チェック。 この音声チェックが先日めでたく終わり、ほっと一息ついたところ。 この音声チェック、結構、集中力必要なのよ~。 ヘッドフォンで音声を聞きながら、台本とナレーターが しゃべる言葉が違っていないか、一字一句チェックするのだ。 たとえば、 a が the になっててもダメだし、 単数が複数になっててもダメだし、 round が around になっててもダメ。 いやー、英語教材つくりつつ、ヒアリングの勉強しているようなもんで、 それはそれで楽しい。 ところでそれはよしとして、先日、フラで一緒に踊っているおばさんから、 「最近の子は早いうちから英会話やお稽古ごとをたくさんしてるけど、 あなたんちはしないの?」と聞かれた。 私はいろんな理由から、乳幼児期の早期教育(英語含め)には賛成できないとつねづね思っているので、 「うーん、あんまり興味がないんですよね。お外遊びして健康に育ってくれればいいです」と答えておいた。 おばちゃん「ほんとぅー、めずらしいのねー、私の周りの若いママは、 ほんとにたっくさんのお稽古事をさせてるわよー、それこそ0歳や1歳から」 だって。すごいねー。 まあ、それはいいとして。 英語に限って言うと、高いお金を払ってDVD買ったり、 早期教育の教室に通わせて、 乳幼児に毎日英語DVDを見させる神経がまったく分からない。 だって、別に近い将来アメリカに永住予定とかじゃないんでしょうに。 いったい、2歳で英語がぺらぺらにしゃべれたからって、 なんだというのだろう。 たとえば、3歳から6歳までアメリカに住んでたけど、 成人した今となっては、英語覚えてないって人を私はたくさん知っている。 その後ずーっと継続的に英語を勉強する環境を整えられるならいいかもしれないけど、外国人の友達もいない超ローカル、純和風な環境で、 乳幼児期にちょっとぐらい英語の発音がぺらぺらになったからって、 長期的に見ると、得るものなんてあまりないと思う。 そんな、ディズニー英会話のDVDをエンドレスで見させるんだったら、 お外に連れて行って遊ばせてあげればいいと思う。 乳幼児に英語を習わせたい親は、たいてい、「自分が英語ができなくて困ったから…」とか言うけど、 本当にそれで自分が困っているんだったら(これについても疑問) 子どもじゃなくて自分が今から勉強すればいいだけの話じゃないかな。 「英語ができたら、世界を股にかける人間になれる」とか本気で思ってるんだろうか。 もちろんできたに越したことはないけど、旅行のとき便利だけど、 世界を股にかけるってことは(このフレーズも変な感じだけど)、 世界に向かって語りかけるべき強いメッセージを持つ人間であるってこと。 そのメッセージがない人は、いくら英語がぺらぺらでも、別に世界を股にかけたりできないと思う。 そして、語るべきメッセージさえあれば、翻訳者でも通訳者でも英語のプロはいるし、 その頃にはコンピュータ翻訳なんかも性能が高くなってるだろう。 それと、やむなく転勤とかで海外にいって必要になったら、 子どもは勝手に外国語を覚えるから、心配いらないと思う。 だから、乳幼児期に本当に必要なのは、 世界に向かって語りかけるメッセージを持てるような青年に育つための、 心身の健全な発達をバックアップしてあげることであって、 何でも吸収するそのやわらかーい脳に、ディズニー英会話のフレーズを叩き込むことではないと思う。 子どもは、特に言葉を覚え始める1~3歳児は、 毎日何度もビデオなんかで見ているうちに、英語でもスワヒリ語でも覚えて、 発音も大人顔負けになるのは当然のことだと思う。 ふーふー、このトピックにはどうしても熱くなってしまうわ・・・。 まあ、塾とかと同じで、キッズ英会話スクールも、ひとつの社交や楽しみの場として、 子どもが自分から行きたい!っていうケースも多いだろうし、 親もそういうものとしてゆるーく通わせるっていうのは全然アリだと思う。 でも、とにかく、わが子が英語ぺらぺらな様子を見て悦に入ってる親って、 自分のコンプレックスを子どもに投影している感じで、あまり美しくないなーと思う。 が、自分を振り返ってみると、私自身も、自分のコンプレックスや願望を 子どもに押し付けそうになっている部分もなきにしもあらず、なんだよね。 しめじがもうちょっと大きくなったらバレエに通わせたいという欲求を抑えきれずにいるし、 自分が球技全般苦手で、ダサくて、悲しかったから、 しめじは小さい頃からボール遊びをたくさんしてほしいとか思ってるし。 自分が甲子園にいけなかったから、息子に「球児」とか名づけちゃう親と同じかも・・・。 ごめんしめじ。 きっと、自分は苦手だったから、子どもには得意になってほしい、という思いは、親としては当然持つもので、 それ自体は否定すべきじゃないんだろうな。 ただ、そのこだわりが強すぎると、束縛・押し付けになって子どもを苦しめるから、 「私はこれが苦手で大変だったから、あなたには得意になってほしい。 でも、これをするかしないかはあなたの選択なので、もし合わなかったらやめていいんだよ」 っていうゆるーいスタンスで、お稽古事はすすめていってほしいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|