|
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日、エオアイア講座の振り返りをしようと立ち寄ったレストランで
とっても見ていてきっつい感じの親子を遠目で目撃してしまい、 その後、しばらく暗澹とした気持ちになりました。 きれいにメイクしたおしゃれな若いお母さんと、年長さんから小学生低学年?て感じの男の子。 男の子は一見ごく普通に食べ物を食べてるんだけど もう、母親はとにかく、彼の食べ方から何からすべてが気に入らないのね。 で、その母親は、自分は口を開けたままむしゃむしゃ食べつつ、ナイフとフォークを両手に振りかざしながら、 「ちょっと!ちゃんと座りなさい!」(といっても椅子に座る角度が浅いだけで、ごく普通に座っているように見える) 「もう~そうやって箸を持たんで!」(自分の持ったフォークでぐい!と子どものもつ箸を動かす) とかなんとか、般若のような顔で口うるさく注意する。 で、その注意以外の時間は、自分は携帯メール打ってて、全然会話なし。 そのお母さんは精神的にとても行き詰った感じで 傍からみてもかなりいっちゃっていた。 男の子の、お母さんを上目遣いでちらちら見て、表情を伺う姿で、 普段の家庭での生活がなんとなく想像できて、 えっらくはらはらしてしまい、 途中から打ち合わせに全然集中できなくなってしまった (るーぽじおさんすみません)。 もっと言うと、男の子の左の目のまわりには、大きなあざがあったけど それはもちろん、ちょっと会っただけの私には、なんとも判断できない。 そういうときに私は何をするかというと、 子どもと目が合うたびに微笑んでみせて 「あなたは悪くないんだよ」ということをどうにか伝えようとするんだけど 子どもにすればただの怪しいおばさんだよな…。 移動中の車の中で、それこそかなり暗澹たる気分で 「あ~、ああいう風景を見て私ってばまた傷ついている!このおセンチさん!」とか 「でも、あんなお母さんを選んで生まれてきてるってことは あの子は相当、魂のレベルが高いに違いない、うん」とか (↑スピリチュアル系の本の受け売り) 「それに勝手に第三者から不幸な子ども・・・とか思われたら 子どもにとってはたまったもんじゃないよね。 彼は小学校では案外生き生きとしているのかも」とか、 つらつらと考えていた。 で、ある程度、暗澹とした気持ちを味わったら それ以上ぐずぐずと悲しんでいるのは、単なる感傷にすぎないって事も知っている。 なんというか、それ(ぐずぐず悲しんでみること)は趣味の範疇に入るような気がする。 世の中には、不当な扱いを受けている子どもが、探せばいくらでもいる。 アフリカで飢えて死んでいく子どもだってそうだし 変質者に狙われて殺されてしまった子どもだってそうだし もっと言うと、買い物に行ったスーパーで、一方的に怒鳴られてパシン!なんて叩かれている子どもだってそうだ。 そういう子どもたちのことを考えて毎日涙を流していたら あっという間に一年たってしまって、自分の人生を生きる時間すら残されてないはず。 そして、自分の人生の、一番身近な大切な人のことがおざなりになってしまったりね。 だから、いつまでも感傷にひたっていたら、キリがないんだけど それでも、この感受性は大切にしたい。 このやるせない思いを、どうすればいいのだろう? などと考えていたら、 今読んでいる田中美津氏の「かけがえのない、大したことのない私」 にその答え(と私が勝手に感じた文章)が書いてあった。 ~ここから引用~ 「ありのままの自己を生きるっていうことは、一定した人格を生きるということとおよそ正反対のことで。 世界には不当に抑圧されている人がいて、そういう問題に対して私も非常に怒っている。 怒っているんだけど、次の瞬間、シッポまでアンコの入ったたい焼きなんかをもらうと嬉しくって、それでニカッと幸せな人になってしまう。そんなたわいもない情けない私もひっくるめて、ここに居る私ってことです。」 「そもそも女性解放って本で読んだり集会に行って学ぶもんじゃなくって、『私』の中にある怒りや矛盾を性的なことをひっくるめて たぐり寄せていくなかで、どんな自分になりたいか、 どんな社会が欲しいかを一人一人が考え行動していくもんだと思うのね。」 ~引用終わり~ この二つの文章から得た私の感想は、 「ああそうか、こんな不安定な私、レストランでさびしそうな子どもを見ただけで涙がこみ上げてくるようなしょーもない私でも、別にいいのか」 ということ。 で、そういう感受性に蓋をする必要はなくって そこで強烈に感じたものを、自分の中に「たぐり寄せて」 それを受けて、どんな自分になりたいか、どんな社会を目指したいかを 考えて、その考察を、自分の行動に結び付けていけばいいんだ、 ということ。 一応つけくわえておくと、 そういうちょっと問題を抱えていそうな子どもに 継続的に関われる状況にある場合は (近所の子だったり、友達・知人の子どもだったりとか) 大人が何かしら気にかけて、探りを入れたり、場合によってはしかるべき場所に相談したりっていうのは絶対に必要だと思う。 子どもっていうのは自分の母親を最後まで絶対に見捨てない。 子どもが自分で判断して、親元から逃げるなんてことは 特に幼少時は、ありえないことなのだから 他の大人が、目を光らせておく必要があると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|