|
カテゴリ:子どもの育ち
佐伯裕子著 「親子再生 ~虐待を乗り越えるために~」を読んで思ったこと。 いっそのこと、「一人で子育て」は禁止、としてはどうか。 言うのも、するのも。 夫が仕事で遅くて母子家庭状態~なんて言ってる人だって、 金銭的援助を夫から得ているわけだし、 子育て支援センターや児童館、保育園などで子どもを遊ばせるのも、 立派に公的機関からの援助を受けていることになると思う。
一人で子育てなんてできない。 百歩譲って、できたとしても、親子関係や子どもの育ちに、必ず何かしらのひずみが生じてくるはずだ。 そしてそれが、虐待という結果につながることだって十分ありうる。 (実際、この著作の中で出てくる虐待・ネグレクトなどの問題を抱えた親子で、子どもが保育園も幼稚園も支援センターにも通っていないというケースは多かった) さらに、「一人で子育てしてるから大変」なんていってる人は、自分の大変さに酔っていることもあるから要注意。 全部自分でこなして、私ってけなげでえらい母親、なんていってね。 もちろん自分のやっていることを自分で承認してあげて、 自分の価値を認めてあげられるのはすばらしいことだけど、その上で、 「さて、この大変さを解消するにはどうすればいいか」という方向に思考のベクトルがいかず、 「大変だけど一人でがんばっているけなげな私」をただ維持・アピールするだけしか関心がいかない状態というのは、危険だと思う。 (そうなりがちな人が多い背景には、いろんな要因があるのだと思う。柔軟性を失った脳の働き、自発的に何かを変えるということを思いつかない思考の硬化とか、母親自身が育った環境や、そこで受けた刷り込みとか) 私たちの母親世代(よりちょっと上の人たちかな?)で、 最近の母親は全く…という文脈で、「子どもぐらい自分で見なさい!」とか、 「やっぱり母親がもっと子どもと向き合わないと!」なんていう、 とんちんかんなことを言うおばさんているけど、 こういった価値観が、母となった女性たちを無言のプレッシャーで、内へ内へと閉じ込めるのだと思う。 「私たちの時代はそんなじゃなかった」なんて言うけれども、子育てしているのはこういうおばはんたちの世代じゃない。 夫は仕事で毎日深夜帰宅、核家族で家には母親以外に子どもをみる大人もいない、 そういう、その気になれば容易に孤立してしまう時代で、私たちは子育てをしている。 それにくわえて、現代人である私たちは、自分でなんでもできると勘違いしている節がある。 だって、お洗濯は洗濯機でできるし、歩かなくても車でどこにでもいけるし、 料理しなくても、コンビニにいけば何でも売ってるし、 知りたいことがあれば、ネットでなんでも検索できるし。 本当は、無人島に放り出されたら狩りひとつできなかったりするのだけど、 現代社会では、そういう自分の無力さを知らされることは少ない。 そんな風にして過ごしてきて、大学を出て仕事もそこそこして、それで子どもを産む。 でも、子どもを育てるのは、家電製品ではできない。 便利グッズはたくさんできたけど、でも、子育ての本質的な部分は太古から変わってないのかもしれない。 子どもを育てるのは、なんというかすごく、人間としての器を試されるような作業。 今まで、なんでも一通り一人でできると高をくくってきたのに、 子育てはそううまくはいかない。 家族とはいえ他人を育てるなんて、ほんと楽しいだけじゃない、大変な作業だ。 さて、虐待する親たちの事情だって、様々で、彼ら自身のおいたちに問題があったり、 自分自身虐待を受けてきた人たちもいるが、それは虐待する親の数の3分の1。 他の3分の2の数の親たちは、自分の親にたたかれた経験もなく、普通に愛されて育ってきた人たちだと言う。(少なくとも本人たちはそう認識している) 虐待(やネグレクト)は、海のように深いトラウマを抱えていたり極悪非道だったりする「特別な」人間だけがする仕業、ではないのだ。 自分以外の人間を育てるなんていうたいそれたお仕事を、 自分への過信からや、 もしくはそうすることが美徳であり、よい母であるという迷信を鵜呑みにして、 独力でこなそうとして、孤立化を深めてしまう母親をひとりでも減らすことは、 虐待防止のためにすごく重要なことだと思う。
虐待にいたる過程で、親自身も悩んでいるはず。 でも、人に助けを求められない、もしくは、助けを求めることをどうしてもよしとしない。 その心理の背景には、「子ども一人育てられなくて、母親として半人前」なんていう刷り込みがあったりするのかもしれない、ひょっとして。 当たり前の話だけど、虐待防止において、子育て支援者が担う役割は大きいと思う。 たとえば、産前や産後に、 「子どもは一人で育てられるものじゃないし、むしろ一人で育ててはいけない。子どもの健全な育ちのために、手間と感謝の念を惜しまず、大勢の人の手を借りましょう。たくさんの大人に愛情深く見守られて育つ子どもは幸せです」 なんていうアナウンスがしっかりとされればいいと思う。 この本の著者である佐伯さんは、育児に悩む親たちに向かって「ひとりじゃないよ」というメッセージを何度も繰り返している。 これはちょっと聞くと、子育て支援者が言いそうなごく普通の、癒し系(?)の台詞に思えるのだけど、 虐待の背景に、孤立化を深め、他人を信頼できず、容易に悩みを打ち明けることができない、 いわば「一人で子育て」の世界にはまってしまっている親たちの存在があると考えるなら、 (藤原和博いわくの、周囲に対する「クレジット」(信頼と共感)がない状態) すごく納得がいく。 私は、産後のセルフケア教室で、「ひとりじゃないよ」なんてことは言わないけれど、 参加してくれる産後女性たちが、「ああ、ひとりじゃないんだ」とうっすらとでも感じてくれるようなクラスにしたい。 産後のセルフケア教室は、 「いつでも悩み相談役になるよ」とか「なんでも聞かせてね」とか、そういうスタンスではなく、 夫との関係も育児の悩みも、その人が自分自身を振り返り、ビジョンを描き、 そのために働きかけることによってしか解決することはできないというスタンスなのだけれど、 それでも、クラスに参加する女性が、 自分の抱えている悩みや問題の解決の「とっかかり」をクラスで見つけたり、 「ああ、こういうことで悩んでいる人は他にもいるんだ」と感じて、 孤独感を乗り越えてくれればいいな。 虐待防止(までいかなくても、子どもの幸せな育ち)に関して、 私が今果たすべき役割はそういうことだと思っている。
今日から母や叔父が沖縄にきて、三日後に徳島の実家に帰省します。 バタバタしちゃうと思ったので、がんばって今日、本の感想など書いてみた。 以前はゆるーくいこうと思ってたこの日記だけど、どうも性にあってないみたい・・・。(ついついくどくどと考察文にしてしまう) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[子どもの育ち] カテゴリの最新記事
|