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こないだ、初めてクリスティーナ・アギレラのCDを買ってしまった。
実は長いこと、この人はアイドルだと私は決め付けてしまっていたのだが、 ちょっと前にNellyのアルバムでフィーチャリングされてるのを聞いてあら、意外にすごい歌声とびっくり。 そして最近死ぬほどラジオでかかっている"Ain't no other man"を聞いて、つい新アルバムも買ってしもうた。 この人のルックスとメディアでの取り上げられ方からして、こちらは彼女を当然アイドルとしてカテゴライズしていて、 その予想が裏切られたことによる妙な快感、それにつられてつい購入してしまったのよね。 要するに彼女の「ふり幅」の魅力に負けたわけですたい。 そもそも、最初から彼女が「実力派」的なルックス(そんなに美人でもない)であれば、 予想が覆されることはなかったので、ひょっとすると、同じ曲をラジオで聞いても、 購入には結びつかなかったかもしれない。(ま、こんなもんかとか思ってそう) と考えると、人間の振り幅の及ぼす力は大きいです。 それと関連して思い出したのが、今読んでいる本の中の一節。 灰谷健次郎の「天の瞳」という本で、これはこないだ実母が送ってきてくれたもの。 主人公の倫太郎の強烈な個性と感受性の鋭さが、孫のしめじと重なる部分が多かったらしく、 「わたしゃ感動したのでぜひあんたも読んでみて」と。 (灰谷健次郎って大人になって初めて読んだけど、えらく淡々と場面描写ばかりが続くのが逆に新鮮といえば新鮮。自分テイストとは違う本を読むのも大切だな) そこで、主人公の4歳の倫太郎が通う保育園の園長先生が、 「私は毎日、ここをこう変えてやりたい、教育してやりたい、とかではなく、 もっと倫太郎くんと出会いたい、いろんな倫太郎くんと出会っていきたい、 とわくわくしながら保育園の日々を過ごしているんですよ」 と語るシーンがある。 そうそう!人間と人間のやり取りの中で、一番興奮するのが「出会い」なのだ。 今まで見えなかったその人の新しい側面が垣間見えたとき。 その人への先入観がいい方向に裏切られたとき。 そうやって相手の中に、多様な横顔や潜在能力、 そして変わろうとする力や強い意志なんかを見出すことで、 知らず知らずのうちに相手に対して勝手にすえつけていた「制限的イメージ」や「境界線」から、 その人の魅力がどばーっとあふれ出てくるようなとき。 そんなときのことを、この小説の園長先生は「出会う」と表現しているんだろうな。 私自身も、一人の人と何度も出会っていきたい、そう考えてきたような気がする。 そう考えると、産後のセルフケア・インストラクターは、人が変わっていく豊かな過程を目の当たりにできる、とてもおいしい仕事なのですな。 出会いの応酬、となるような素敵クラスに、ナビゲートしていけるようになろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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