カテゴリ:考察
■どんぐりをしていると、どんな子に育ちますか
*穏やかで、自分をキチンと持っているが、現実的な目も備えている。 *自分のことも周りのこともよく見えているので、言動が深い。 どんぐり倶楽部は本当の学力・絶対学力を育てるための場所ですから、絶対学力の意味を知らなくてはいけません。 絶対学力とは、人生を楽しむために必要な、工夫をする力のことです。豊かな感味力と、高度な思考力がバランスよく融合している状態です。 12歳までに、絶対学力の基礎である「絶対基礎学力」を育てると、実社会を通して24歳までに「絶対学力」を身に着けて一生を過ごせます。 <感味力を保育して身につけた察知力+視考力を活用した思考力=絶対基礎学力> ◎これ(どんぐり理論が世に出る前)まで、実は教育理論という言葉はありましたが、実は、その中には、思考力養成の理論はなく、したがって理論に基づいた具体的な方法は一切ありませんでした。行き当たりばったりの「何かが、できるようになる方法」が集められていただけだったのです。 重要なのは、「感情を壊すことなく理論的な思考を高度なところまでできるように育て上げること」なのです。感情を殺していいのであれば、簡単なことです。コピー学習を徹底させれば完了です。実際に、世界で行われてきました。そして、その結果が、機械人間、操り人形、自力で考えられない機械人間の大量生産でした。 今、その尻拭いをさせられる時代になったのですが、どうしていいのか皆目見当がついていません。 学力の根本は「言葉」である。従って、言葉の教育を徹底的に強化すればいいのだ。...という、安易な居直り論が、それらしく囁かれ始めています。50年前と同じ大失敗の幕開けです。この「言葉の力」を大上段に掲げている方針は、大失敗をします。「言葉」とは、そもそも「具体的には何であるのか」を定義せずに(定義できないのが大問題なのです)進められているからです。「言葉の力」という曖昧な大前提を大きく広げて「言葉を使った何かができる」ように、徹底反復をコピー学習させられることでしょう。そして、完全に思考力は消え失せることになります。 <TSUBUYAKI:小学校英語の困ったちゃん> 小学校の英語の授業は、本格的なスポーツとリンクさせて体作りを中心とする。 音楽に合わせて体を動かす程度ではなく、キチンと体作りをするための時間と捉えると英語のマイナスの時間を体力増強のためのプラスの時間に変換することができる。 結局小学校への英語導入は大失敗に終わります。 なぜならば今でも学力低下の最底辺にある学校なのに余計な英語という科目が入ってきた時点で致命的なタイムロスと混乱と勘違い学力が生じるからです。 さらに悪いことには、ただ学力が落ちるだけではなく、日本が弱ってくると言う現象になると思います。 国がなくなると言うことです。 テレビゲームが携帯化された時点で、この現象は始まったのですが、いま時点ですでに、下げ止まりになっています。 漢字があり、ひらがながあり、カタカナがあり、ローマ字があり、その上に英語(発音記号もあります)、これはもう狂気の沙汰です。 日本では、英語がなくても生きていけるんです。英語は、母国語だけでは生きてはいけない世界の人たちが使っているのです。さらに全世界では英語よりもスペイン語の方が多いんです。 自分が必要で吸収する分には英語を話せる必要は一切なく、読んで理解することができればいいだけの話ですから、それを会話や発表までもっていく必要は一切ないと言うことです。 超現実的に考えて、日本人には英語は要らないんです。必要と思う人だけが入力として、まず学習すればいい。 話せる英語は要らないと言うことです。 とはいえ、話せるようにさせるのはすごく簡単ですよ。簡単だけど、そんなことに割いている時間はないのです。 演劇をさせれば良い。あるいは発表ならば、スピーチをさせれば良い。あるいは、おしゃべり程度でいいのなら、ディスカッションさせればいい。 また、聞き取れない音があると言うようなことを言われますがそれはないんです。 私たちは、聞き取れない音に違和感を持ちます。「この音聞いたことがないな」なんて言ってるか「わからないなぁこれ」が違和感です。つまり自分の頭の中に付き合わせるだけの音の源(音源:マッチング対象)がないと言うそれだけのことです。わからないわけではないんです。ですから、そこでフィードバックとマッチングの理論を前提にして根底となる付き合わせるための原型の音(音源)を入れてあげて待っていれば、そこで音が合致して、わかった、あるいは、聞こえた、と言う状態になります。 簡単なことです。だから子供たちは、英語をやってるふりして体を動かして体力増強にしてしまい、英語は回避すればいいんです、そうすれば悪影響はないです。 逆に、常に英語に反応できるようになったら、それは異常だと思ったほうがいい。なぜならば、いつも常に頭の中に英語を持っていると言うことになる。それは、日本人で日本に住んでいながら、日本語での反応ができないようになってると言うのとイコールです。 特に子供時代にはそうです。子供時代でなければ、体験と言葉をリンクしながら体験的に吸収して、基礎回路とすることなどできないのです。こういう事ができる特殊な時期が、幼児・児童期なのです。 そうすると、読解力も理解力もない、もちろん応用力もない状態になる、その原因が単なる英語を話せるようになるために時間を使って使ったことによるならば「英語教育=教育犯罪」になる可能性も出てきます。 日本人らしさというのがありますけれども、その日本人らしさと言うのは言語によって多くの場面で培われます。 その風土を生かせなければ、日本人になれないと言うことです。またこの微妙な風土を享受することもできない状態になってしまうということです。 簡単に、言葉が話せるようになればいいな、と言うふうに思っている人がいるようですが、ただそれだけではなく日本人ではなくなってしまうということです。 自然を感じられなくなるんです。 特に日本のような微妙な色を通じて育まれた高度で繊細な感じ方や感じ方や感覚はなくなっていくでしょう。 外人が日本のワビサビをわかっているような顔をしている場合と、日本人が、心の底から感じるのとちょっと違うような気がしませんか。そこですよ。そこがなくなっていくんです。 英語教育(幼児・児童期の言語教育)と言うのは、すごく危険なことなんです。 単純に<便利=効果的>ではなく<便利=危険>だと言うこともあり得るんですね。 加担しているふりをして、回避すればいいんです。 そうすれば、悪影響なく楽しむだけで体力増強がなされ悪影響は回避されます。 ---------------- <どんぐり方式で育った頭が考えること> ◎小4がノーヒントで灘中の入試問題を解いた答案(どんぐり歴:2年7ヶ月) ◎小5がノーヒントで麻布中の入試問題を解いた答案(どんぐり歴4年) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年01月21日 04時08分14秒
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