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カテゴリ:風物詩
9月1日『防災の日』 関東大震災(地震名は「大正関東地震」)から90年。
今日は朝から防災訓練が行われた。 関東大震災について、知っているようで実は知らないことのほうが多い。 ちょっと書き留めておこう・・・。 * * * * 関東大震災は首都直下型地震でなく相模湾トラフでのプレート境界型地震だった。 いわゆる三つ子地震で、3度の大きな揺れがあった。 火災による被害が大きかったが、これは不運があった。 北陸地方に弱い台風があり、秩父付近にも地形の影響で分断された低気圧があり、このため気象の変が激しく、折からの強風が時間を追って次々と風向きを変化させていった。 この風向きの変化があらゆる方向へ延焼を拡大させた。 旧陸軍被服廠跡(現東京都墨田区横網公園)は安全な避難場所とされ、多くの人が避難してきていた。 しかし人々が集まってきた時点で、すでに四方を火災域に囲まれて逃げ場のない状態だった。 加えて、避難者によって大量に持ち込まれていた家財道具などの可燃物に周囲からの飛び火が引火、折からの強風も相まって火災旋風が発生し、短時間のうちに3万8000人もの命が失われた。 東京ばかりが語られるが、実は震源に近い神奈川の方が被害は大きかった。 横浜市の全潰棟数は約1万6000、東京市の1万2000を上回っている。 しかも当時の横浜市の人口は約42万人で、約220万人いた東京市の20%に過ぎない。 相模湾震源なので、津波が発生している。 津波の高さは伊豆大島で12m、伊東や館山で9m、鎌倉で6m程度。 津波による死者は2〜300人、発生から到達までの時間が短かった。 多くの土砂災害が発生していること。 根府川で東海道線の裏山が崩れて停車中の列車が海中に沈んで多数の死者を出し、 箱根の大洞山が崩壊し、高速で白糸川を流れ下った岩屑なだれが根府川集落を襲った。 白糸川の河口付近で遊んでいたは子供たちが、海からの津波と白糸川の岩屑なだれの挟み撃ちにあう形で犠牲になるという悲劇もあった。 横浜や横須賀、鎌倉や三浦各地でも土砂災害が発生。 土砂災害が多く発生しているのも関東大震災の一つの特徴。 関東平野と甲府盆地で800カ所以上液状化が発生。 情報伝達の混乱とデマの流布。 ラジオ放送の実用化も間に合わず、在京の新聞社の多くが被災したことで機能しなかった。 デマは「東京全域が潰滅。水没」「津波が赤城山麓にまで達する」「政府首脳全滅」「大噴火による伊豆諸島の消滅」「三浦半島陥没」など・・・。 その中に「朝鮮人が暴徒化し、井戸に毒を入れ放火して回っている」というものがあり、大衆の多くは混乱に陥り、自警団による朝鮮人の暴行・虐殺が実行された。 中には日本人でも方言を話したことで朝鮮人と間違えられて暴行・殺害されたケースもあった。 現在は当時より情報伝達手段が増えている。 一方玉石混交の情報の海の中から適切な情報を取捨選択するためには、相応の情報リテラシーが求められる時代・・・。 これはもっと意識されるべき問題。 現状で、こと都市部において地震に対抗し得る対策は耐震・免震のみ。 下町や河川沿いの低地など地盤の柔らかい地域ではなおさらのこと。 そして当時から首都圏の人口は大幅に増えており都市の構造も大きく変わっている。 その状況で同程度の地震に見舞われた場合の被害は未知数・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.09.01 15:41:53
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