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カテゴリ:唄うたいの戯言
8月6日です。
『死んだ女の子』を唄って46年・・・唄い始めた頃、音楽の持つメッセージの強さ・伝える力を強烈に感じていた。 時が経つにつれ、伝わり方が変わってきたような気がする。 昔は、『我が身のこと』として聴いてくれ、直接反応が返ってきたが、今は客観的に『悲しい歌』と聴かれているような気がする。 戦争体験はないまでも、両親など身近な人から直接話を聞いてきた年代と、遠い昔のこと(れきしのいちぶ)と感じている世代とのギャップだと感じる。 『死んだ女の子』 ナジム・ヒクメット 1) 開けてちょうだい 叩くのはわたし あっちの戸 こっちの戸 わたしは叩くの 怖がらないで 見えないわたしを 誰にも見えない 死んだ女の子を 2) わたしは死んだの あのヒロシマで あのヒロシマで 10年前に あの時も7つ いまでも7つ 死んだ子は決して 大きくならないの 3) 炎が飲んだの わたしの髪の毛を わたしの両手を わたしの瞳を わたしの身体は ひとつかみの灰 冷たい風に さらわれていった灰 4) あなたにお願い だけどわたしは パンもお米も 何もいらないの 甘い飴玉も しゃぶれないの 紙ッきれみたいに 燃えたわたしは 5) 戸を叩くのは わたし わたし 平和な世界に どうかしてちょうだい 炎がこどもを 焼かないように 甘い飴玉が しゃぶれるように 炎がこどもを 焼かないように 甘い飴玉が しゃぶれるように お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.08.06 09:18:37
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