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カテゴリ:覚書
明日、3.11は忘れてはならないが、今日、3.10も一大惨事があった日なのです。
3・10・・・東京大空襲のことである。 1945年(昭和20年)3月10日、大東亜戦争末期の帝都東京に対して行われた、米軍の大規模空爆による大被害のことである。 夜間の超低空から実行された、焼夷弾による都市攻撃である。 攻撃を行ったのはマリアナ基地から発進したB29であった。 死者はなんと10万人超、負傷者は4万~11万人、被災者全体で100万人超となった。 しかも空襲が行われたのは、3月10日の午前0時8分から、空襲警報が解除された午前2時37分までの約2時間たらずのことだった。まったくの深夜のことであった。 空襲が集中したのは東京の下町である。山の手ではない。 米軍は、最初から意図的に東京下町の住宅密集地帯を狙って実行したのである。 焼夷弾は破壊を目的としていないので爆発はしないが、充填されているナパームなどの焼夷剤が燃焼して攻撃対象を焼き払うことを目的としている。 木造建築が圧倒的であった当時の民家に焼夷弾が被弾すると、一気に火が拡がって投下された地帯が焼け野原になってしまったのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.03.10 10:27:58
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