|
カテゴリ:今日のたわごと
子供の頃からドラえもんが大好きで、今もその気持ちは変わらない。
ドラえもんは大山のぶ代で、大山のぶ代がドラえもんだから、 大山のぶ代ではないドラえもんなど、見たくもないし聞きたくもない。 私の影響で、当たり前にドラえもんが好きになった姪たちと、 私の知らないドラえもんを一緒に観ることになったとき、 「これが今の子供たちにとってのドラえもんなのだ」という姉の言葉に、 悲しいような寂しいような、とても空虚な気分になった。 だから、その歌を聴いたときはショックだった。 新ドラえもんのために書き下ろされたその歌は、 私の大好きなドラえもんの世界観がそのまま受け継がれていた。 でも、そうか、それも当然だなと思った。 ドラえもんはドラえもんであって、それ以上でもそれ以下でもなく、 声に左右される程度のものなら、そんなものはドラえもんじゃない。 あのポケットで夢を見せてくれるドラえもんが、私たちだけのドラえもんで終わらずに、 これから先もずっと、みんなに夢を与えてくれるドラえもんであり続けるための、 夢ある声優一新、新ドラえもんなんだなぁと、その歌を聴いてやっと納得できた気がした。 遅い、我ながら遅すぎる。 でもこの手の時代の移り変わりを受け入れるには、割と時間がかかるタイプだから仕方ない。 もしバンちゃんがセレッソに行こうものなら、また色んなことを思い出して考えるんだろうな。 とにもかくにも、新しいドラえもんも前向きに見続けていこうと思えたことは収穫だった。 今度の映画はリメイクではないから、受け入れないことには観に行くもできないしね。 なんだかちょっと気が楽になった。 また金曜日のよる7時はドラえもんを観よう。 歌詞も覚えないといけないなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.08 23:00:32
コメント(0) | コメントを書く |