カテゴリ:モモのおじさんの独り言
どうも私は教えすぎます。何とか上手くなって欲しい。これが出来たらきっともっと楽しくなれる。と思ってのことなのですが・・・。
でも、コップに入るスペースがなければ、水を注いでも零れ落ちるだけです。 <見取る力> カナダの北のある部落の民には、教える教わると云う概念がないそうです。見れば出来てしまうのです。 日本の昔の職人たちも高い能力を持っていました。だから、その技を見せないし、道具も見せなかったのです。見ると出来てしまうからです。 そう云えば、昔私の家は小さな寿司屋を営んでおりました。 子供の頃から握ったり洗ったりみようみまねでやらせてもらっていましたが、ある日見習いの少年(私より上で高校出たてくらいでしょうか)が、他の人に聞いたそれも違ったことをやっていたのでしょう。板さんが怒って「馬鹿野郎、てめえは見習いだろう!見習ってものは見て習うもんだ」「俺がわざわざ見せているのに毎日どこを見てやがる!」と云って、やおら包丁の背で頭を叩きました。うっとしゃがみこむぐらいの強さで! 見習の彼は、俺が馬鹿なんだと泣きじゃくっていたのを思い出しました。もう40年以上も前の話です。 小さな店の話ですが厳しいですよね。でも我々は時代であれば命をかけて稽古をしていたはずです。負けると死ぬのですから。もっと見取る能力と真剣さを身に付けたいものです。 言葉に出来ない身体の使い方もあり、言葉で伝える能力に欠けている私は、やって見せるしかない。と思いを新たに精進するつもりです。 見取る力をつけてあげるのも教えること。 おそらく一番の教えは、教えないことなのでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|