カテゴリ:気付き
邪心は力みを生みます。「こいつをやっつけてやる」とまでは行かなくても、「もうチョット効かせてやろう」「格好良い所を見せてやろう」「よし今度は上手くやるぞ」とか思って稽古をしたことありませんか?
これが邪心・邪念なのです。こう云う時って必ず失敗しませんか? この「…とかしてやろう」というのが、気負いとなって、力みを起こします。 肩が上がり、息は止まり、腕に力が入り、上体は浮いてしまい見苦しい形になります。 とてもお手本の先生の姿とは似ても似つかぬ姿となっています。でも、本人は先生と同じ姿を自分に置き換えています。これが怖いところですね(笑) その醜い姿、姿勢では力は伝わりませんし、技にもなってきません。 私も以前、二ヶ条で締めても相手に効かず、「今度こそ」「ちくしょう、これでもか」とやっていた時は、力みの権化で肩にばかり力が入っていました。 ところが剣を振り出して少し身体に馴染んできた頃から変わりました。 相手をどうしてやろうではなく、力まず剣の素振りのようにただ下ろすだけだと念じてやってみると、相手はストンと崩れました。大きい人も力のある人も崩れました。 とろが、もう一度今度はもっと効かせてみようと思った途端ダメになります。…肩が上がります。力みです。 昨日出来たのに今日はダメ。20回に1回が10回に1回になり5回3回…にとなってきます。これが稽古なのでしょう。 「コツは、剣で斬り下ろすように締める」と言われて、そうかと剣をイメージしてやってもダメなのです。だって剣を振ったことが無いのですから…。身体が理解していないのですから、ダメなのです。そういう意味でも体術にとって武器術は大変有効です。 さあ邪心を捨てて先生の力みの無いスーッと行うきれいな姿をもう一度確認して、それを真似ましょう。邪心と力みを捨てて! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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