テーマ:合気道。(539)
カテゴリ:気付き
子供の頃、北海道は石炭ストーブ、薪ストーブの時代がありました。
薪は1年分割って一抱え程に針金で小さく縛って、家の外壁に沿って積み上げるのが越冬の準備でした。 父は明治生まれの大工。剣術の心得などは微塵もありませんでしたが、長い柄の斧で軽々と割っていきます。実に簡単に…。 私は小学生でしたが、やってみると重さも手伝ってなかなか上手くいきません。 力自慢の内地(本州)の自衛隊員がやりたがりますが、振り上げて力まかせに振り下ろす斧は、薪に弾かれ右左にすっ飛びます。 足を切った人もいて危ないので、父はやらせては止めます。 父は子供の私に、男は薪割りくらい出来なければダメだ。と云い「力を入れるな、薪の筋を見ろ」としか教えてくれませんでしたが、汗もかかずにスッ、スッと割っていたのが子供心に誇らしかったのを思い出します。 そのうち、薪の木目を見るようになり、斧がなぜ重く出来ているのか分かりました。 いちいち力を入れていたのでは、一冬分の薪は割れないのです。 斧を振り上げるときは、重さを無くすため手前に引き寄せ、垂直に上へ差し上げます(持ち上げるのではなく)。フッと前へ斧を投げ出すと、斧は弧を描き自重で薪を割ります。 子供の私は、その手助けをするだけ。私が、私の力が薪を割るのでは無いのです。 その時はただ父と同じに軽く割れるのに近づいたのが嬉しく、力自慢の自衛隊さんが出来なくて私が出来るのが愉快に思ったのですが、今思うとこれって剣の理に近いのかなと思ったり、この時の体験が今、ただ抜いて切り下し納める。または素振りだけでも飽きない理由なのかなと、ビールを片手に思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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