カテゴリ:合気道ドタバタ日記
昨日、見学したいという青年が来ました。聞けば、他流の合気道団体に所属して4年になるが今疑問が湧いてきてそのため見学に来たとのことでした。
そして、私のやっていたことを見て本物だと云います。2、3の技や遊びで体験して貰うと目を丸くして喜び、嬉々として早速入会したいと云います。入会は歓迎だけど慌てず何回か体験期間も有りますよと告げました。 私が耳に付いたのは彼の本物という言葉でした。流派で本物比べは有りません、本物の人がいるだけです。私はそうでありたいと思うだけの全くもって山の入り口でうろうろしている者。そんな私の何処をもって本物と感じたのか?こう言ってはなんですが、本物を見分ける技量をお持ちとは到底思われません。勘違いか本の読みすぎでしょうか…。 本物の稽古があるとすれば、それは教える人と教えられる人双方の問題です。特に教え手よりむしろ受け手の技量が無ければ教えられないし分かりません。ここを勘違いすると流派が悪いとなるのかも知れません。流派が人に教えるのではなく、人が人へと教えるものだと思います。 また来るかどうかは分かりませんが、いつになく変わった稽古日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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