カテゴリ:つぶやき
8年前の26日、午後4時47分、緊急帝王切開手術で出産。 出血多量と母子手帳に記入されていた。 おかげで私のお腹は5個目の傷がついた。 病気と闘った傷跡に、プラスで 自力で出産が出来ず力無く母体危機で14時間の陣痛虚しく 大きく縦に下っ腹を切られた。 今でも陣痛室からオペ室までの搬送中に1分間隔の激しい陣痛で 唸りまくる私の顔に過呼吸対応のタオルを当てられ混み合う廊下を 助産師さん達が走って付き添っている光景を覚えている。 廊下の人々も響めいていた。 オペ室のライトが眩しい。 下半身麻酔であの恐ろしい陣痛からの解放とともに、 自然分娩出来なかった情けなさにも、徐々に過呼吸が落ち着く。 血圧が180から下がらず頭も痛く目の前がチカチカ星が見えた。 メスが入るのが分かる。 先生は必死で私のお腹から3025グラムにまで育っていた娘を 切開した部分から取り出そうと頑張っていた。 麻酔で痛みは無いだけで、お腹の赤ちゃんを取り出すのに ゴドングゴンと感覚はある。 枕元に付き添う助産師さんと他の先生が 私の気を紛らわせようと引っ切り無しに会話をしてくる。 腹から取り出され時に場内一斉に空気が変わった。 だが、私は胸より下はカーテンのようなテントがされ見えない。 お腹の処理を受けながら赤ちゃんの産声を聞いた。 お腹を縫う先生は酷い返り血を浴びていたが私に向ける顔は笑顔。 慌ててへその緒を止血せずに切って返り血を浴びていた。 赤ちゃんを見た時に、長い長い不妊治療がやっと ようやく終われたとその時に初めて思えた瞬間だった。 助産師さんが赤ちゃんの顔を私の顔にそっとつけると 赤ちゃんは泣き止み見えない目をあけた。 助産師さんがその瞬間を撮影していた。 その写真の私は笑顔で泣いていた。 助産師さんが言った言葉。 私が赤ちゃんに最初に掛けた言葉は「頑張ったね」だった。 その時に助産師さんが「お母さんだっていっぱい頑張ったんだよ」と。 嗚呼、終わった。不妊治療が終わった。 と、頑張った自分を認めて貰えた気持ちが涙になって流れた。 この病院で不妊治療を頑張っていた。 産婦人科のナースさん達が私が母体危機に急変した時 オペする担当医に捲し立てたそうだ。 「dp*さんはやっと出来た赤ちゃんなんだから、さっさと切りなさいよ」と。 dp*さんとナース達はどういう関係なの?と聞かれた。 休憩時間に産婦人科のナースさん達が赤ちゃんを見に来てくれていた。 不妊治療経験者のナースは私に寄り添い適切なアドバイスをしてくれていた。 年輩のナースは毎月の筋肉注射を痛くないように注射してくれた。 高度不妊治療先で妊娠し病院に戻った時にナースさん達が集まって来て よかったねぇと肩を抱き飛び跳ねて喜んでくれた。 子宮筋腫、子宮内膜症、卵巣嚢腫のオペからの長い付き合いなのだ。 何年もの経緯を全て知っているのだ。 産婦人科のナースさんが私の赤ちゃんを抱き 「生まれて来てくれてありがとう」と泣いた。 リナのママとなり母親8歳の私。 リナが20歳になって成人した時に、私も母親として成人になる。 手探りでの子育て。 2人暮らし。 思い通りにならない子育てに苦悩したり開き直ったり。 ブログでは書きたくない残したくない気持ちの日もたまにはある。 浮き沈みする日もある。 どう生きていくか。 また来年までの1年間。 皆平等に流れる時間。 時間の使い方次第でまた1年後の感じ方が変わるだろう。 娘の誕生は、私を母に、パパを父に、 父母義父母を祖父母に、弟義弟を叔父伯父にした。 新しい立場に生まれ変わった。 ハッピーバースデーはみんなが生まれた日。 みんなが生まれて8年目。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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