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5歳男児の母であるたかべえが悪戦苦闘しながら 子育てに励む傍ら、自分探しの旅を続ける日常をお伝えします。 子育てと自分育てを応援するFamilication(ファミリケーション)の ホームページもあわせて遊びにきてくださいね♪
カテゴリ:新たな気づきと学び
その後、引き続き、新たな人生の課題が出てきました。
先日書いた課題以上に大きい、今年向きあわなきゃいけない課題。 それは、 怒りや憎しみを愛に変えられるようになること ご存知の方もいるかと思いますが、私、いろんなところに怒りや憎しみをもっています。 相手は巨大組織だったり、個人だったりいろいろだけど、その怒りや憎しみをそのままぶつけたり、無いようなふりして自分を偽るやり方で、今までずっと失敗してきていました。 相手は変わらないし、何も解決しない。 憎たらしいことをいうその人は、本当は何を求めているのか? もしかしたら、その人は今いる場所から出たくてもがいているのかもしれない。 もしかしたら、その人は何かを恐れて、何かに抵抗しているだけなのかもしれない。 誰にでも言葉にならない言葉があります。 言葉で言っていることは不純物が混ざっていることが多いけど、言葉にならないものの中に本当のその人は確かにいる。 そんな相手の言葉にならないものを読みとっていけるようになろうと思いました。 それが読みとれたら、誰もが美しい愛すべき存在になる。 変な言い方かもしれないけど、自分はその相手よりも少しだけ先を歩いているのかもしれないって思う。 これってすごく傲慢なのかもしれないけど。 でも、もし少しでも謙虚になれるのだとしたら、 「私はここまで来ました。」 と相手と向き合うんじゃなくて、 「私もあなたと同じようにまだ歩いている途中。ほんの少しだけ前を歩いているけれど。見ている方向はあなたと同じ。」 って、自分も今までもがいてきた、抵抗してきたプロセスを相手が歩む傍らにいつでもいける自分でいたいと思う。 先日、ある人が日野原重明さんの話をしてくれました。 日野原さんって年齢的にも社会的にもずっと上の方まで階段を上りつめたような人でありながら、階上から下の人を見下ろすんではなくて、階段の下の方にいる人たちの所にタタタタタッと降りていって話をするような人なんだそうです。 この話を聞いて、「謙虚でいる」というか、「謙虚」とかいう言葉すら意識しないぐらい、それが当たり前である自分というのが、目指すあり方としてしっくりきた感じがした。 自分自身としては人間的成長を目指して階段を上っていくけれども、 人とのつながりの中ではいつでも階段の下の方に降りていけるような、 それも相手にそうとは気づかれないぐらいさりげなく自然にあたりまえにできたらいいなって。 いつでも、誰に対してもそれができるような自分になれたら・・・ もう求めるものは何もないかもしれない。 先日は「本気で真正面から向き合う」ことが課題だと書いたけど、今は違ってそんな風に思ってます。 昨日書いたコーチ仲間めぐっちの直感から生まれた行動が、 他人の私にこんなすごい気づきをもたらしてくれた。 気になったら、無視しないで、動いてみること。 めぐっちを見習おうよ>私 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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