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2024年04月19日
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カテゴリ:YouTube
少年時代の懐かしい思い出といえばTV放送と映画館 TVはまだ白黒放送だった時代 少年漫画から始まった実写版の「月光仮面」「少年ジェット」 それから「鉄腕アトム」も実写版でした 映画は日活と東映がほとんど 大映 東宝系はあまり観た記憶がありませんが 子供には ちょっと難しかったのかもしれません

それから芸能関係で衝撃的だったのは美空ひばりさんと小林旭さんが結婚したこと 銀幕のヒーローとヒロインのカップル誕生にはまだ子供だった自分も驚きました しかしその後に離別してしまいましたが あの頃よく観た作品といえば ひばりなら「べらんめえ芸者」 アキラなら「渡り鳥シリーズ」 田舎暮らしの少年にとってお盆やお正月に映画を観るのが最大の娯楽でした

そんな中 飛び込んできたのが赤木圭一郎さんの突然の事故死 ゴーカートに乗って撮影所の鉄扉に激突したというニュースを見たときはこれもまた衝撃的でした 残念ながら赤木さんの映画はあまり観ませんでしたが 「霧笛が俺を呼んでいる」というタイトルと主題歌はよく耳にしていて子供ながらに鼻歌でよく歌ったものです といってもラストの「霧笛が~俺を~読んでいる~」というフレーズのみ 後は憶えていない しかし赤木さんが もしヘルメットをしていたら 最悪の事態は免れていたかもしれないと思うと 今更ながら残念でなりません

ということで今回は 遠い少年時代を思い出して 懐かしいあの赤木さんの歌を ウクレレ弾き語りにアレンジして歌ってみました あっ歌は下手っくそですよウクも それはしょうがない 素人のGさんが道楽でやっているだけですから 今回も歌詞 コード付きなので 御同輩の方々 一緒にあの頃を思い出して歌ってみませんか ウクレレで歌うと一層楽しいですよ


​『霧笛が俺を呼んでいる』
​​

1960年 日活作品 公開翌年の1961年に事故死した赤木圭一郎の代表作の一つである 赤木の歌った主題歌「霧笛が俺を呼んでいる」(作詞 水木かおる 作曲 藤原秀行)もヒットした(wikiより)

《ストーリー》​
すずらん丸はエンジンの故障で出航を延期し 航海から久しぶりに横浜の港に戻ってきた1等航海士の杉 敬一(赤木圭一郎)は少年時代からの親友の浜崎守男(葉山良二)が自殺したことを知らされる 浜崎の恋人だった美也子(芦川いずみ)や妹のゆきこ(吉永小百合)から当時の話を聞くうちに 杉は浜崎の自殺に疑問を持つようになる 不慮の死を遂げた親友の謎を探る男(赤木圭一郎)と親友の恋人(芦川いずみ)の淡いロマンスを絡めたミステリーロマン(「NIKKATSU」より)












​赤木圭一郎の 事故死について​

1961年2月14日12時20分頃、映画『激流に生きる男』セット撮影中の昼休憩時にセールスマンが持ってきたゴーカートを日活撮影所内で運転中、ブレーキとアクセル(乗用車とは逆位置)を踏み違え 60Km/h以上のスピードで鉄扉に激突、慈恵医大病院に緊急入院。
 
一時は意識が戻ったものの、1週間後の2月21日、前頭骨亀裂骨折に伴う硬膜下出血のため21歳の若さでこの世を去った。赤木の家族らと共に長門裕之南田洋子夫妻も臨終に居合わせた。

事故直前に同じく『激流に生きる男』出演中で撮影所にいた子役時代の江木俊夫は赤木からゴーカートに誘われていた。「一緒に行くと危ないぞ、それより飯でも食おうよ」と誘ってきた小林旭と共に食堂で食事をしているところに、外から大きな音と騒ぎが聞こえて赤木の事故を知ったという。

志賀高原でのスキー事故により入院していた石原裕次郎赤木の事故死のショックで病状が悪化したという。また、赤木の死に顔を見た宍戸錠は「まるでハリウッドの俳優 ルドルフ・ヴァレンティノのようだった」と語った。 

宍戸は他の俳優やスタッフらと共に赤木がゴーカートを走らせる前よりその場に居合わせており、弟の郷鍈冶、そして杉山俊夫共々家族同様に親しい間柄だった。(『近代映画臨時増刊 赤木圭一郎思い出のアルバム』154頁他より、近代映画社 1966年12月刊)

赤木の事故死は当時の日本の各方面に大きな衝撃と悲嘆をもって受け止められ、その早逝から「和製ジェームズ・ディーン」とも呼ばれた。市川雷蔵 夭折(ようせつ:歳若くして死ぬこと 早死に)後の大映がそうであったように、赤木の夭折が日活衰退の遠因になったと考察する者もいる。


プロマイドは死後6年経った1967年(昭和42年)まで男優部門での売り上げ10位以内に入り続けるという高い人気を保ち、同年には『トニーは生きている、激流に生きる男』のタイトルで最後の映画が公開され、写真集やレコードが発売された。

同じ日活の後輩女優で共演の経験もある吉永小百合(赤木からは「ラビットちゃん」という愛称で呼ばれていた)は、赤木を「憧れの先輩だった」と語り、自身の著書や写真集、日活時代の思い出を語るインタビューなどで赤木とのエピソードや写真を挙げている。

神奈川県鎌倉市に建てられた赤木の墓所へは死後45年以上たった今でも墓参に訪れる者が多く、献花が絶えることはないという。(以上ネット記事より)


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Last updated  2024年04月20日 07時18分16秒


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