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テーマ:ガンの後の日常(82)
カテゴリ:病院のいろいろ
今日は横浜市立大学付属病院http://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~fukuura/の口腔外科に行きました。
奥歯にかぶせた金属が取れてしまったので、作り直し、かぶせ直してもらいました。普通の歯医者さんに属するような治療内容も、いつもここの口腔外科でお世話になっています。 この病院は、2年近く前に検査のために入院し、癌の告知を受けた病院です。 以前医療事故があったりして、ニュースに出ていたことがありましたが、癌になった時、近所の歯医者さんから紹介された別の大学病院の歯科の先生が、ここに行きなさい、と紹介してくれたのです。 この病院にお世話になって大正解でした。告知後に転院したのですが、極めて迅速に、気持ちよく、また細心の注意をこめた判断に基づいて、転院を実行することができました。 まず、入院すると同時に、院内ではパソコンを自分で持ってくれば、いくらでも使っていいですから、自分でいろいろ調べて下さい、と言われました。無線LANで自由に使えるのです。 近所の歯医者さんはじめ、先生方の対応から、自分はまさかの癌なのかも、と思いましたが、この病院で先生に検査の手順の説明を受けた時に、「それで癌かどうかが分かるのですね?」と問うと、この病院の先生ははっきり、「そうです」と答えてくれました。この時にかなりの覚悟が決まりました。この先生を仮にA先生と呼ぶことにします。すぐにパソコンを持ち込んで、癌のことや病院のことをいろいろと調べました。 次に、告知の時、A先生は、私達もたくさん口腔癌の治療をしていますが、他の病院で、治癒率のデータがあるような、より多くの経験を積んでいる病院もあります。そういう病院で治療を受けられるのもよいですよ、と言って下さいました。こちらは、まず自分が癌であるということ自体が晴天の霹靂で、予備知識も心の準備もないですから、頼る手立ては目の前におられるA先生しかないような気がしました。A先生も、年間数十件の手術はしておられました。 しかし、同時に、念のため他の部位も調べるということで、内科で胃や食道の検査、耳鼻科で鼻やのどの検査を受けました。いずれも異常なしでしたが、耳鼻科のB先生は、以前国立がんセンターに勤めていたという方だったのです。B先生は、癌ならば、可能な最高の治療を受けるべきだ、と強烈に説かれました。もし自分や自分の家族がそうなったならば、自分ならばそうする、とのこと。それならば、どんな結果になろうとも悔いはない、と説かれました。どんな結果になろうとも、とは、結局死ぬことになっても、という意味を含むと思われました。 私にとってはB先生は同じ病院内で最初のセカンドオピニオンを下さったようなものでした。絶対に死にたくないと思いましたし、可能な最高の治療を受けねばならない、と思いました。 さて可能な最高の治療、と言っても、素人ですから分かるわけはないのです。入院直前に買い込んだ病院案内と、ホームページくらいしか情報はありません。B先生の言われた国立がんセンターも調べたけれど、雲の向こうの病院のようでしたし、自宅から遠いのです。結局、ホームページに載っていた顔写真とほんのちょっとの説明文から、C先生のおられる癌研病院に行ってみよう、と思いました。 行って見ようと思ったものの、言い出すための勇気は並大抵ではありませんでした。他の病院も考えてみて、と和やかに話して下さったA先生は、入院してから見ていると、威厳をまとって近づきがたい先生になっていました。常に若い先生方や看護婦さんに囲まれているのです。そういう中で、よその病院に行ってみたいと言い出すことはできない、と思いました。 でも、廊下で、他の先生や看護婦さんが誰もいなくなった一瞬に、先生ちょっとお話が、と切り出しました。その、すぐ横に、小さな部屋があったのです。先生と二人でお話ができるスペースです。このような場所は貴重だと思いますが、例えば、後で移った癌研病院にはこんなゆとりのスペースは皆無でした。先生は以前の和やかな先生に戻って、実績のない迷信のような治療と思われる場合には反対することもありますが、癌研病院は良い病院です、是非行って来てください、と言われました。 CTやPETなど、持っていくべき資料を迅速に準備して下さいました。入院中のまま横浜市大病院から癌研病院へ、外出でC先生のセカンドオピニオンを受けました。A先生から言われた治療方針を告げ、C先生の方針を伺いました。癌研病院の方がずっと多くの癌専門の先生方がおられ、症例もずっと多いことが分かりました。C先生はその場で入院ベッド確保の指示をして下さいました。 戻った横浜市大病院では、B先生の2回目の診察も、なぜか、設定されました。耳鼻科的に悪いところが増えたわけでもなく、相談用に設定して下さったとしか思えません。B先生が持っていたカルテには、私が癌研病院のC先生からもらって帰った手紙が挟まれていました。この病院では全部の科のカルテが患者一人ずつ一冊にまとめられているのです。B先生は、あ、これはすごく有名な先生だ、ここに移るのならばA先生も納得しますよ、と言って下さいました。何となくA先生に申し訳ないような気はしていたので、納得されると聞いて安心感を覚えました。 その後は退院し、一週間ほどしてから、癌研でベッドが空いたという連絡が来て、癌研病院にうつり、放射線、抗癌剤、手術、を受けました。 私の場合、最初から癌研へ行くということはあり得なかったと思います。私を癌研へ行かせてくれた横浜市大病院をありがたいと思っています。家から近いこともあり、癌研退院後は、また横浜市大病院にもお世話になっているのです。 長くなったのでまとめておくと、横浜市大病院で私にとって良かったことは、 (1)はっきりと初期に告知してくれた。 (2)パソコン通信が使い放題だった。情報収集を奨励してくれた。 (3)他の病院を検討してもよいと告げてくれた。 (4)院内に多くの科がそろっており、他科もあわせて受診できた。その中で有用なアドバイスをもらえた。 (5)小さな部屋があるゆとりがあり、微妙な話をしやすかった。 (6)PETなど、最新の設備がそろっている。 (7)全部の科のカルテが患者ごとに一冊になっている。 (8)入院したままセカンドオピニオンを外出で他の病院にもらいに行けた。資料の準備も迅速にしてくれた。 他にもありますが、癌に関連してはこんなところです。 セカンドオピニオンを得るのに色々な気苦労があったり、転院するのに時間がかかったりする例を聞くことがありますが、ただでさえ動転している患者自身が、これらで気をもまねばならないのは大変です。横浜市大病院は、とてもきめ細かに、癌になりたての頃の私をサポートしてくれたと思います。 癌研退院後に横浜市大病院に行った時、A先生にまたお会いすることができました。手術後の開かなくなった口を開けるリハビリをしている私を励まして下さいました。A先生はその後すぐに他の病院へ移られましたが、人格者であったと思いますし、感謝しています。B先生にも食堂で遠目にお会いしました。覚えていて下さったようで、よしよし、僕のアドバイスが役立って生きて戻ってきたな、と言う様に、微笑んで首を縦に振っておられました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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