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テーマ:ガンの後の日常(82)
カテゴリ:癌との付き合い方あれこれ
やはりこれは書いておかねば。
死んだら、どうなるのでしょうか。 ガンを経験して、死のことを色々考えました。ある時、テレビで偶然聴いた話や、サイモントン療法での話や、歩きながら考えたことなどから、分かりました。 科学者であった方が、般若心経の解説書を書かれたということをテレビで紹介していました。その中で、宇宙のことを述べておられました。詳細は忘れてしまいました。でも、科学的事実として、多分内容に重なりがあります。 科学的事実として、死んだら、私の体の細胞の原子の多くは、宇宙に旅立ちます。地球上のあらゆるところを巡るだけでなく、宇宙へも行くのです。また、私の体の細胞の原子たちは、かつて、宇宙の色々なところを旅してきた原子たちです。宇宙にも行っているし、他の動物に入ったこともあるし、木々の中に入ったこともあります。 そんなことを考えながら、近所の木立の道を歩いていたら、ぱあっと、そこにあった木々の命が、私に流れてきたのです。急に、景色が変わって見えました。伝わる、伝わる、宇宙と、生命の叡智の営みが、木々や私の生命を育んでくれていることが感じられました。木々が、私が元気にあることを応援してくれていました。 森林浴や、田舎の生活で得られるような、生き返ったような感覚があると思いますが、そう気づいてみると、それは、街中の木1本からでも、それなりに受け取ることができるのです。 また、電車の人ごみの中で、ここに乗っている全ての人の遺伝子には、その死が既にプログラムされている、と考えたりします。何も不思議なこととしてではなく、100年後にはここにいる殆ど全ての人は死んでいるのです。私も同じ。でも、地球の命の営みは続いているでしょう。 命の存在は不思議です。死も、生命の叡智の中では、生と同じものではないでしょうか。死んでも、私はいなくなるわけではありません。私はまた原子の粒になって、息子や娘の呼吸する空気にもなり、或いは体ともなり、命の叡智の一部として使われ続けます。そうやって、子供たちを見守ることはできる、と、信じることは、できるのです。 現世に未練は大有りですが、いざとなったら、そういう風に考えることは、できるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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